30代になって気づいた「お墓参り」の効力
今から1週間ちょっと前
春分の日(春のお彼岸)の日記
3月20日(水・祝)
当たり前のように、実家に帰って仏壇に手を合わせ、お墓参りをした。
わたしは幼少期から祖父母も一緒に暮らしていたので、春と秋のお彼岸、御先祖様の命日には祖母のお手製おはぎ(ぼたもち)を食べ、仏壇に手を合わせるのが当たり前だった。
特別な意義は感じず、
なんとなくやっていたお墓参り。
祖父が亡くなってからは、おじいちゃんに話しかけるつもりで手を合わせていたものの、やっぱり実家からお墓までそんなに遠くないからこそ足を運べるのであって、「これが遠方だったら面倒くさいって思うよな」と感じていた。
でも、この歳になり、年に2回の墓参りって、なんだかとても大切な気がしてきたのだ。
「先祖の供養」が一番の目的とわかっているが、それ以上に「自分自身」にとって大事な儀式だなと感じる。
お墓に手を合わせるとき、「いつもありがとうございます。これからもお見守りください。また、新年度からがんばります。」と心の中で唱えた。
それだけのことなのに、なんだかとても心が落ち着く。ざわざわしていた心が、真ん中に戻る感じがした。何か、大きなもの、目に見えないものと繋がる感じ。
スピリチュアルなこととはまた違うのだけど、目に見えないもの守られている、守ってもらえているという安心感というかなんというか。
子どもの頃はわからなかった
大嫌いだった椎茸の美味しさに気づいたり、
胃もたれというものを知ったり、
なぜ大人たちが毎日ニュースや新聞を見ていたのかわかったり、
サウナや温泉の魅力に気づいたり、
…大人になって感覚が変わったことや大人になったからこそ分かることって色々とあるけれど。
それと同じように、「お墓参り」の大切さにも少しだけ気づいたので、記録として書いておこう。
ご先祖様を供養することは、今生きている自分の命や家族を大切にすることにも繋がっているんだということに、ふと思いを巡らせた春分の日でした。
ちなみに、メキシコの「死者の日」をモチーフにしたディズニー映画「リメンバーミー」は、日本の「お盆」とも通ずる部分があって、大好きな映画の1つです♪
最近見ていなかったので、
また見たくなりました♪
最後までお読みいただき、
ありがとうございます。
おしまい。