女性専用車両の正当性について考える【考えるシリーズ】
まいど。皆にとっての何某か、あいつです。
昨今SNSや動画配信サイト、TV番組等メディアコミュニケーションの場において、「女性差別」や「男女平等」といった議論をはじめとするジェンダー・イシューに関する話題が取り沙汰されることが増えてきました。
その中でも「女性専用車両」は特に頻繁に争点になっている印象を受けます。
AbemaTVでは「女性専用車両を特集したテレビ番組の特集番組」まで作っており、市井における関心の高さがうかがえますね。
たしかに一見すると女性専用車両には、今日の平等観にてらして不平等だと感じられる部分が多々あるのも事実です。
単純に「女性のみに用意されている」ことに対して不公平だと感じる方もいるでしょうし、「痴漢加害者予備軍のように扱われている」と不快に思う人もいるでしょう。
また実際的に「痴漢の防止に役立っているのか?」と疑問を呈する人もいれば「共用車両の乗車率が上がってしまう」とデメリットを感じる人もいるでしょう。
では、そんな女性専用車両はどのような理由から論理的に正当化できるのだろう、という点は多くの人が興味を持っている事柄ではないでしょうか。
ということで今回は、女性専用車両の正当性と限界について概説していきたいと思います。
女性専用車両に賛成の方も反対の方も、この要点を押さえておくことで自身の意見も深まるのではないかと思います。
少し難しい話もしますが、最後まで読んでくだされば嬉しいです。
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はじめに
鉄道博物館収蔵資料によると、1912年(明治45年)に東京甲武線にて短期間ではあるものの日本初の女性専用車両である「婦人専用車」が登場し、1947年から1973年ごろまでは中央線にて「婦人子供専用車」が導入され、そして2000年に京王電鉄で「女性専用車両」の試用が始まったという。
現在のような形での女性専用車両の本格的な運行が始まったのは、翌年の2001年からになる。
こうして見ると、女性専用車両には100年以上の歴史があることがわかる。そんなご長寿な女性専用車両であるが、昨今はその正当性に対して疑問を抱かれることが多くなってきた。
日本法規情報株式会社(2018)の調査では、女性専用車両に反対の理由として以下のようなものがみられた。
熊本市交通局(2020)の調査データでは女性専用車両に反対の割合は男性で30%、女性で11.3%であり、その反対理由の割合は以下のようであった。
また株式会社アスマーク(2011)の行ったJR東日本に関するモニター調査では、女性専用車両に反対である理由として以下のようなものが挙げられていた。
時間をもっと短くして、本当にラッシュ時だけにして欲しい。(50代/男性)
通勤時、乗換に一番便利な車両が女性専用車だと急いでるときに不便だから。「○○駅×時発までの電車で女性専用車両…」などの表記の仕方がわかりづらいから。(20代/男性)
そもそも痴漢行為をどうやって未然に防ぐかが問題。(50代/男性)
男性に対して差別だと思う。(20代/女性)
同じ料金を払っているのに女性だけが優遇されるのはおかしい。(50代/女性)
被害を受ける可能性があるから保護するのは良いが、ピークタイムに利用している男女比を見れば男性専用もあっての女性専用にするべきなのは明らか。(30代/男性)
このように、女性専用車両は賛成が多い一方で上記に代表されるような反対意見も決して少なくない。
2018年には女性専用車両に反対する数人の男性たちが東京メトロ千代田線の女性専用車両に乗り込んで居座り、駅員の降車要請にも従わなかったために電車が遅延するという事態に発展している例もある(川上, 2018)。
Ⅰ.女性専用車両の導入意図
前置きとして、女性専用車両はある確たる目的を共有した公共事業ではないということを付言しておきたい。
国土交通省が公開している「用語解説ページ」における女性専用車両の用語説明では「鉄道事業者において、輸送サービスの一環として導入された女性等に配慮した鉄道車両」という定義のみがなされており、導入目的については明記されていない。
また国土交通省(2003)では女性専用車両の導入と促進について以下のように述べているが、あくまで導入に際しての意図や目的のアナウンスメントは各鉄道事業者が行っており、統一的な目標に関しては明言されていない。
アンケート調査の結果、痴漢等迷惑行為対策としての女性専用車両導入について女性の8割弱、男性の7割弱が賛成する等、社会のニーズが高いこと。
男女共同参画を目指す日本社会においては、日々の通勤通学等の面においても女性が安全、快適に社会活動に参加するための環境づくりが必要であると考えられること。
1.導入の端緒
それでは女性専用車両はどのような経緯で導入の端緒を拓き、要請されてきたのであろうか。
堀井光俊氏は著書『女性専用車両の社会学』の中で、その端緒として日本国内の鉄道機関における痴漢問題に対する社会的関心が高まった節目である1988年の「御堂筋線事件」と、1996年を通しての性犯罪撲滅キャンペーンの二つを例に挙げている。
1988年11月に大阪市営地下鉄御堂筋線で発生したいわゆる「御堂筋線事件」の影響に関しては、竹部(2018)においても「大阪市営地下鉄御堂線の痴漢事件がきっかけとなり、京王線が最初に女性専用車両を導入し、以降は大手鉄道事業者が積極的に続いた。」と述べ指摘しているように、女性の痴漢被害に対する社会的関心の機運の高まりに一役買ったのは間違いないだろう。
そのような「御堂筋線事件」とは、以下のようなものであった。
いきさつを聞いただけでもショッキングな事件であり、事件のきっかけが多数の面前で公然と行われていたにも関わらず防ぐことができなかったという点から見ても世間に大きな衝撃を与えたことはうなずける。
当時、加害者に課せられたのは3年6ヶ月の懲役刑という実刑判決であった。
求刑は4年であったが、弁護側は「逃げようと思えば逃げられた」と女性の落ち度を指摘したほか、大阪地裁が「前途ある若者」や「同情すべき成育歴」と加害者に情状酌量の余地を加えた最終判断が上記の結果となったようである(SIMPLE LOG, 2021)。
1996年頃に行われた性犯罪撲滅キャンペーンは性犯罪被害者の精神的トラウマや二次被害への対策といった被害者対策への機運が高まる中、鉄道警察隊が中心となって行われたもので、「痴漢は犯罪行為」というポスターの掲示や女性警察官による「痴漢被害相談所」の設置などがなされた(堀井, 2009)。
こうした社会の動きは電車内痴漢に対する意識の変化も促していく。
例えば数十年前は痴漢=犯罪という意識がまだ希薄であり、女性に対する人権意識が現在に比べて低かったことも影響し、被害者は痴漢行為に対して泣き寝入りせざるを得ない状況も多かった。
田房(2021)によれば、自身が小学校高学年だった頃の30年前を回想すると「痴漢に気をつけろ」、「そういう人もいるから仕方ない」、「自分の身は自分で守れ」と言い聞かされていたという。
加えて1990年代にはまだ痴漢体験記や痴漢マニュアル、痴漢常習者の手記、雑誌には痴漢を扱った記事が数多く掲載された痴漢専門誌などが出版されており、男性誌には痴漢しやすい場所や常習者の手口など、痴漢を推奨するような記事すら掲載されていた(牧野, 2019)。
また1986年にリリースされたおニャン子クラブの「おっとCHIKAN!」という曲には、女性が故意に痴漢冤罪をでっち上げて男性を陥れるという歌詞がある。
現在ならばこのような歌詞は絶対に許されない。
しかし逆にいえば、痴漢の疑いをかけられることがコメディとして描かれる曲がリリースされていることそのものが、当時の世間が「痴漢=軽いイタズラ」程度の認識であったことを物語っているといえるだろう。
そして先に述べたような「御堂筋線事件」や性犯罪被害者の保護、女性の人権に対する意識の高まり、鉄道事業者や警察による広報など様々な要素が重なり合って、現在では「痴漢=犯罪」という意識が一般的になったといって差し支えないだろう。
というように、女性専用車両導入(が公正とされること)に向けての契機や背景としては、本項で述べたような痴漢に対する社会の意識変化があった。
次項では、そんな背景のもとで実際に女性専用車両が導入されるに至った経緯について考察していきたい。
2.導入の経緯
上で述べたような意識の変化と軌を一に、女性の権利について国際機関や行政によるマクロな動きも存在し、このような背景も女性専用車両の導入に大きな影響を与えている。
国連では1979年に「女子に対するあらゆる形態の差別の撤廃に関する条約」、いわゆる「女性差別撤廃条約」が採択され、1985年に日本に対しても発効した。
また1996年には内閣府によって男女共同計画基本プランが策定されたほか、1999年には男女共同参画社会基本法が施行、それに基づいて2000年に男女共同参画基本計画が策定された。
このようなマクロな領域における女性の人権に対する意識の高まりと、前項で述べたような社会の中での意識変化が重層的に作用することによって、女性専用車両の導入とそれについての社会的合意が形成されていったのだと考えられる。
次節では、そのように社会的文脈から発生してきた女性専用車両がなぜ必要だといえるのか――必要とまではいわずとも導入が妥当だといえるのかを考論じていきたい。
Ⅱ.女性専用車両導入の根拠
「はじめに」で述べたように、女性専用車両の正当性に対してはいまだに根強い不信感が存在する。
かくいうあいつも少し前までは女性専用車両に対して言いようのない「不平等感」を感じていた。
同じ乗車料金でなぜ女性だけが専用車両なるものを利用する権利を持っているのか、法の下の男女平等という憲法に照らせば男性専用車両もあって然るべきではないのか…
知識がなかったあいつからすれば、当然の疑問である。
そういった素朴な疑問を出発点にいろいろと調べまわった結果、あいつが思うに、女性専用車両は大きく分けて以下の三つの理由からその正当性に妥当性が認められると思われることに気付いた。
1.痴漢被害の非対称性
しかしそもそも「痴漢」とはなんなのか。
痴漢行為は、都道府県迷惑防止条例に抵触するものと強制わいせつ罪に抵触するものに分けられる。
そのため痴漢の発生と女性専用車両を関連付けて論じるためには「都道府県迷惑防止条例に抵触するタイプの痴漢行為」と「強制わいせつ罪に抵触するタイプの痴漢行為」双方のデータを用いることがベストだと思われるが、本稿では後者のデータのみを用いることをご理解いただきたい。
これは、迷惑防止条例違反における痴漢行為にあたる認知立件件数の系統的なデータを参照するための公的なデータベースが存在しないためである。
そのため以下で参照される認知・検挙件数のデータには盗撮やいかがわしい言動といった行為による痴漢行為は勘定されていないことを留意していただければと思う。
もうひとつ。
強制わいせつにおける痴漢行為の認知および検挙すべてが電車内で起こったものではないということである。
実は電車内で発生する痴漢の割合は相対的に見てむしろ少なく、たとえば平成26年のデータでは以下のように4%弱にとどまっている。
そのうえで強制わいせつの認知件数と、被害者における女性割合のデータをグラフで見てみよう。
平成23年から令和元年までの9年間に限ったデータではあるが、被害者の圧倒的多数が女性であることが読み取れる。
もちろんこれはあくまで「認知件数」であるため、暗数—―いわゆる泣き寝入りを含めるとその被害者数はさらに多くなると思われる。
また先述のように、強制わいせつ罪での立件要件に達していない痴漢行為の場合は各都道府県の迷惑防止条例違反として扱われるため、「痴漢行為」全体の総数は実際にはさらに多いことにも留意したほうがよい。
しかし重要なのは被害者のデータと一緒に加害者のデータも参照することであろう。
被害者には女性が圧倒的に多いことは分かったが、加害者との比較データがなければ痴漢犯罪にどのような特徴があるのかは判断できない。
強制わいせつ罪で検挙された者の女性割合も見てみよう。
加害者においても圧倒的多数が女性であることが分かる。
ここまでの非対称性には瞠目するものがある。
数千件単位で事件が起こっているにも関わらずここまで男女比が偏る統計は、ほかの犯罪には見られない。
特に強制わいせつはその定義上ほとんどの場合で身体的接触が伴うという極めて精神的・肉体的侵襲性の高い犯罪行為である。
そういった行為にしてここまで極端に偏りが存在している事実、すなわち「痴漢構造の性差間非対称性」こそ女性専用車両導入の一つの正当な理由なのである。
先も見たように痴漢という犯罪の最大の特徴は加害者のほとんどが男性であり、被害者のほとんどが女性であるという非対称性だ。
女性専用車両はこの「非対称性を解消するために」行われるものなのである。
大阪メトロなどは女性専用車両の導入理由について「チカン行為から女性を保護するという趣旨で女性専用車両を導入しました」と答えているが、これも痴漢行為の非対称性解消に向けた取り組みだと解することが出来るだろう。
ではなぜ性別間における非対称性を解消することを目的とした施策だということが、女性のみを介入対象とすることの正当性を担保するのだろうか。
2.積極的格差是正措置として
積極的格差是正措置はポジティブ・アクションやアファーマティブ・アクション、ポジティブ・ディスクリミネイション等とも呼ばれ、社会の中に存在する人種間格差や性別間格差などを解消していくことを目的として行われる措置である。
例えば政治的意思決定の場における著しい非対称性がみられた際に、女性の割合を増やすために優遇措置を講ずることなのがこれにあたる。
この積極的格差是正措置が性差別の範疇には入らないことの理論的根拠となるものが「女性差別撤廃条約」である。
女性差別撤廃条約第4条では以下のように規定されている。
つまり、ある領域で性別間に明らかな非対称性がある場合、それを解消していくためにとる措置(ここでは女性専用車両)は性差別である(ここでは男性差別・女性差別)と解釈してはならないのである。
(暫定的な、という点については「まとめ」にて触れる)
なるほど。
女性差別撤廃条約批准国において、積極的格差是正措置によって生じる暫定的な不均衡は差別とはみなされないことが分かった。
しかし日本国憲法には以下のような記載があることを読者諸賢は頭に浮かべただろう。
憲法では「法の下の平等」が保障されており、積極的格差是正措置はこの条文といかに折り合いをつけられるのだろうか。
ひとつひとつ見ていこう。
まず「条約」が憲法や国内法に対してどの程度の優位性をもつかに関しては、大きく分けて以下の二つの見解が存在する。
条約優位説:条約は憲法に優位する
憲法優位説:国内法上憲法は条約に優位する
これに対し、中谷ら(2016)は以下のように述べる。
すなわち法解釈において条約は、憲法の示す理念に従いつつも具体的な法制度よりは優先度が高いものと解されている。
ここから合憲であるとみなされる範囲内において、格差是正のために女性優遇措置をとることは性差別に当たらないと考えるのが妥当であるということだ。
それでは果たして、女性専用車両は合憲であるといえるのだろうか。
これについて確認するために、まず日本国憲法十四条における「平等」がどのような意味なのかをみてみよう。
平等の概念に関しては以下の二つの次元が存在する。
形式的平等:個々人の差異は捨象し、均一に取り扱うこと。
実質的平等:差異を勘案し、実質的に平等となるように取り扱うこと。
もし日本国憲法の指す「平等」が社会的な立場や格差、階層などを度外視してすべてを等しく取り扱う「形式的平等」を指し示しているのであれば、女性にのみ専用車両を導入するのは明らかな憲法違反ということになる。
しかし憲法学上の通説では、日本国憲法第十四条のいう「平等」は絶対的画一的に均一にする「形式的平等」のみを指すのではなく、ゴールラインの平等である「実質的平等」をも指し示すと解するのが妥当である(橋本, 2008・浦部, 2016)とのことだ。
また野村(1986)によれば第十四条の「法の下の平等」が禁止するものは恣意的・差別的で不合理な差別的取扱いであり、いわゆる「合理的な差別」は憲法違反ではないと解されている。
すなわち女性差別撤廃条約を論拠に実質的平等を目指して女性専用車両を導入することは、日本国憲法第十四条には違反しないと解するのが妥当ということだ。
ここから女性専用車両が「男性差別、もしくは女性差別である」とする考えは退けられることが分かる。
だが問題がすべて解決したわけではない。
男性に対する法的拘束力の程度によっては憲法にそぐわないと考えられるためである。
積極的格差是正措置は性差別にあたらないとする根拠があるとしても、それは憲法上どの程度までの法的拘束力であれば許容されるのだろう。
辻村(2011)は以下のように述べる。
このことから、女性専用車両に「男性に対する退去強制」、「男性が乗車した場合の罰則規定」といった法的拘束力を持つ施策が含まれていた場合は違憲となる可能性が極めて高い。
では女性専用車両の男性に対する法的強制力はどの程度なのであろうか。
……ほぼ皆無なのである。
女性専用車両は男性に対しては任意での協力を求めるものであり、かつ男性が女性専用車両に乗車したとしてもなんの罰則もない。
女性専用車両としての積極的格差是正措置は男性に対してなんの法的拘束力も持っていないといってよい。
実際、「女性専用車両は本来、誰でも自由に乗車できるのに、健常な成人男性が乗車することを“事実上”禁止している」とし、女性専用車両が憲法違反だと主張して鉄道会社に損害賠償を求めた裁判においては、東京地裁は以下のように判断して請求をすべて棄却している(山下, 2018)。
鉄道会社は営業に関する自由な裁量権を有しており、女性専用車両の目的、時間帯などから、設置は正当である
健常な成人男性の乗客に格別の不利益を与えるものといえない
そして形式的に「女性」のみを対象とすることに対する以下のような批判も、この「積極的格差是正措置」という法的根拠に基づいて退けられる。
女性専用車両は決して男性や性的マイノリティーを無視しているわけではない。
非対称性が事実として存在し、それに対する施策であるという限りにおいて根拠が与えられることで正当なものとして運用可能である客体としてのカテゴリーが、結果として「女性」に限られただけの話である。
以上から、積極的格差是正措置としての女性専用車両の設置は合憲であり、合憲である以上は国内法に優先するものとして条約上の法的根拠が与えられていることから、女性専用車両は女性にのみ利益を与える施策であったとしても性差別とはみなされず正当性が認められるといえる。
3.女性空間の便益的な側面
前項では女性専用車両が正当であることの論理的、法的根拠について述べてきたが、女性専用車両がどの程度実効的なのかという疑問にも一定の回答が与えられている。
鳥山・鍋島(2016)は電車内における窃触痴漢には「相手に気付かれても構わない」と考えるタイプと「できる限り相手に気付かれないように努力しようとする」タイプの二種類が存在するとし、後者の特徴について次のように述べる。
女性が気付かないうちに性被害を受けるという例は確かにあり、窃触が自分の気付かぬうちに行われるということはそれが性被害として顕在化しづらいという点で厄介である。
そうであれば原則として乗客が女性のみである女性専用車両は加害されるような状況に対して同性が目を光らせている点や状況として男性が乗り込むことが不自然に映るという環境設定がなされる点から、上記のような被害を予防する効果は大きいのではないかと考えられる。
また痴漢被害がそもそも起きづらい空間を設けることは、痴漢等の性犯罪における「被害を告発しづらい」という性質を鑑みても便益があると思われる。
竹部(2018)は「被害を受けても被害者が声をあげられなかったり、被害者が責められたりする傾向が痴漢に限らず性犯罪では多い」と分析し、このような傾向は日本人の性に対する「恥ずかしいもの」というイメージや自己責任論の強さによるものと考察している。
前に述べた御堂筋線事件が関心を呼んだ理由として大きな要因として、痴漢を告発しているにも関わらずそこにいた全員が状況を看過した衝撃にあるだろう。
車内には多くの乗客がいたであろうし、痴漢行為という正義にもとる行為を許容する人は少ないはずである。
にも関わらず周りの乗客が誰一人として何のサポートもしなかったというのはなぜだろうか。
これは社会心理学用語である「傍観者効果」で説明ができるだろう。
電車内、とりわけ満員電車内は通常の生活空間内で最も人口密度が高まる空間のひとつである。
傍観者効果によれば傍観者の数が増えるほど介入が抑制されるというが(責任の分散)、まさに電車内はサポートの動機づけが低くなってしまう空間なのである。
また痴漢は多くの犯罪の中でも最も「評価懸念」が働きやすいと考えられる。
評価懸念とは自分の介入が間違っていた場合などの他者からのネガティブな評価に対する不安だが、暴行や傷害などと違い痴漢被害は外からは分かりにくい行為であることから「痴漢が勘違いだったら自分が責められる」という状況が多いためだ。
さらにいえば電車に乗車している時はどこかに移動する目的があることがほとんどであるし、急いでいる場合も多いだろう。
電車が「交通機関」であるがゆえのこの特性も、傍観者効果に拍車をかけてしまう。
つまり痴漢は「本当に痴漢被害があったかも定かではないし、周りにたくさん人もいるし、その上にそのたくさんの人が誰も動かないし、痴漢があったとしても命の危険があるようなものでもないし、自分も急いでいる」という、多くの社会的抑制が働く場面で起こる犯罪なのである。
そして竹部(2018)が指摘したように痴漢は被害に遭ったとしても被害告発が非常に難しい犯罪の一つである。
理由は様々だ。
例えば恥ずかしさに耐えられないということがあるだろうし、ショックで認められないこともあるだろうし、どうせ信じてくれないという思いを抱えている人もいるだろうし、そもそもどうやって誰に知らせればいいのか見当もつかないという人もいるだろう。
そして何よりも痴漢被害は告発したところでからかいや非難の対象になりかねないという特徴がある。
「そんな服着てるからだ」
「被害妄想でしょ」
「かわいいからね」
「そういうやつもいるよ」
「触られただけだろ」
「手が当たっただけかもよ」
「気をつけて自衛しなきゃ」 etc, etc…
こういったケースを我々は小さいころからいやというほど目にしてきた。
そんな社会的環境にいるのだから、告発できない例が多いのは想像に難くない。
弁護士の岸本学氏は痴漢被害者の84.1%が泣き寝入りしているという調査結果を受けて、告発を難しくしている要因として以下のようなものを挙げている(岸本, 2020)。
被害者が犯人を確保することの困難さ
犯人から「冤罪」を主張されることへの不安
周囲の乗客の被害者への非協力
被害届作成、警察署への動向など拘束時間が長い
刑事事件として扱うと、加害者に自分の氏名が知られる
つまり痴漢は被害に遭ってもそれを他者に伝えることが難しいことが非常に多く、被害の最中や直後はなおさらである。
例えば車内防犯カメラ等も痴漢の抑止力として有用であるし、被害申し立て後の立件の確実性向上にも寄与するだろう。
しかし身体的、精神的侵襲度が高いうえに被害を告発しづらいという痴漢の性質から鑑みると、そもそも痴漢の危険性が低い空間を用意するという施策は他の手段との比較衡量という観点からみても、特に有益であるといって過言ではないだろう。
実際、石田ら(2012)による研究では女性専用車両は通常車両と比してストレスを感じにくいことが指摘されている。
この研究では普通車両と女性専用車両の乗車時における心拍数の変動時系列データ(ストレス負荷量との相関が認められるもの)の変化を比較し、受けるストレスに違いがあるかを調べた。
その結果、普通車両では女性車両と比較して一定量のストレスを安定的に受けていることや、女性専用車両は普通車両に比べて被るストレス強度は弱くストレス総量も減少する傾向があることが示された。
こういったように、痴漢被害の非対称性を解消していくうえでも「女性専用車両」という形での是正措置を行うことは社会的な便益という意味でも妥当であると考えるのが適当だといえよう。
Ⅲ.女性専用車両の問題点
前節までで、女性専用車両には導入の正当性を担保する論理が強度に確立されていることは理解していただけたと思う。
しかしそれは、女性専用車両は問題が全くない施策だということを意味しない。
一方では問題を抱えている側面もある。
1.名称が招く誤解
まず、女性「専用」車両という名称は極めて誤解を生みやすい表現であると言わざるを得ない。
「女性専用車両に反対する会」はホームページで下記のように述べる。
この批判には一理あるだろう。
女性専用車両は男性差別にあたらないと解することができる根拠の一つが「法的拘束力の弱さ」にある以上「専用」という名称は不適当であり、いささか誤解を招きやすいといえる。
実際、「専用」という語には次のような意味がある。
①と②はどちらも、ある特定の物や用途に「だけ」使うということが含意されていることが分かる。
この名称から感じられる、男性の乗車を禁止しているかのような印象はむしろ「男性差別である」という誤解を助長してしまっている側面もあるのではないか。
実際、女性専用車両は女性以外が乗車できないものではないことを周知していくように行政相談がなされている事例もある(総務省, 2016)。
そのため、こういった点は今後改善していかなければならないだろう。
2.男性差別的側面
女性専用車両は正当性が担保されているものだとはいえ、男性差別的な要素が含まれていることもまた事実である。
「強固な論拠があればある程度の差別は正当化される」と考えるのか、「すべてを画一的に平等化すること以外は差別的な取り扱いだ」と解するかは個々人の価値観で異なるであろう。
例えば身体障害者が働きやすいよう優遇するために法整備をすることは実質的平等という観点から見れば差別ではないといえるだろうが、健常者との取り扱い方が異なる以上、ある程度は差別的な施策だといえる。
これが許容されると考えるか、許容されないと考えるかは個々人の考え方次第である。
そして、どちらが本質的に正しいかは答えの出ない問題だ。
最も重要なのは、次節でも述べる通り自明なものとして「差別だ」もしくは「差別ではない」と結論付けるのではなく、このアポリアを考え抜いていく姿勢であろう。
まとめ
以上論じてきたように、女性専用車両には一定の正当性が認められると考えるのが妥当であろう。
しかし一方で未解決の課題もあり、安易に肯定されてよいものではないことも留意する必要がある。
そのため女性専用車両導入の妥当性については今後も厳しく追及され続けなければならないし、導入の継続や拡大についても慎重に議論を重ねる必要があることは論を俟たないだろう。
女性差別撤廃条約第4条に記されているように積極的格差是正措置における女性の優遇はあくまで、不平等解消のための「暫定的な」ものに過ぎない。
すなわち、今現在その暫定的措置が必要かどうかを継時的に検証していく必要性が、女性専用車両を擁護する正当性の論理には含みこまれているのだ。
そしてそもそも、本稿のような妥当性の再考が求められていること自体、女性専用車両の論理的正当性がきわめてあやうい薄氷のうえにあるものだという証左だともいえるのだ。
そういったことも含めて、本稿を通じて女性専用車両について理解を深めてくださる方が増えれば、これ以上の幸せはない。
引用資料
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・岸本 学(2020). 「痴漢に遭った女性の84%が通報を諦めるのは、一体だれのせいなのか あまりに大きい「被害者の負担」」/『PRESIDENT Online』
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・牧野 雅子(2019). 「痴漢問題はなぜ「冤罪被害」ばかり語られるのか 女性を「嘘つき」と罵る冤罪論者たち」/『PRESIDENT Online』(https://president.jp/articles/-/31474?page=1)
・村田 陽平(2002). 『日本の公共空間における「男性」という性別の意味』地理学評論, 75, 13, 813-830
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・中谷 和弘・植木 俊哉・河野 真理子・森田 章夫・山本 良(2016). 『国際法〈第3版〉』有斐閣
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・新銀座法律事務所(2012). 「No.1324 2012/8/22 12:00」/『法律相談事例集データベース』(https://www.shinginza.com/db/01324.html)
・総務省(2016). 「障がいを有する男性や男性介助者も「女性専用車両」が利用できることを、もっとよく知らせてほしい(概要) ー行政苦情救済推進会議の意見を踏まえたあっせんー」/『報道資料』
・杉本 志津佳(2021). 「痴漢という性暴力」/『わたしは黙らない 性暴力をなくす30の視点』合同出版株式会社
・田房 永子(2021). 「痴漢を許容する社会」/『わたしは黙らない 性暴力をなくす30の視点』合同出版株式会社
・竹部 潮里(2018). 『女性専用車両の差別性について』佛大社会学, 43, 83-88
・鉄道博物館「婦人子供専用車のサボ」/『鉄道博物館 収蔵資料紹介』(https://web.archive.org/web/20090204010642/http://railway-museum.jp/exhibition/018.html)
・鳥山 仁・鍋島 崇(2016). 『本当はやってはいけない性犯罪 痴漢・盗撮 防止ハンドブック』三和出版
・辻村 みよ子(2011). 『ポジティブ・アクションーー「法による平等」の技法』岩波書店
・unicef The Maldives. 『The Convention on the Elimination of all forms of Discrimination Against Women (CEDAW)』(https://www.unicef.org/maldives/reports/convention-elimination-all-forms-discrimination-against-women-cedaw)
・浦部 法穂(2016). 『憲法学教室(第三版)』日本評論社
・山本(山口) 典子(2017). 『女性専用車両、設置の経緯と考察 ー性暴力被害防止の視点からー』日本大学大学院総合社会情報研究科紀要, 18, 047-057
・山下 真史(2018). 「「女性専用車両」違憲訴訟、男性側敗訴のケースも…トラブルの火種、くすぶり続ける」/『弁護士ドットコムニュース』(https://www.bengo4.com/c_23/n_7476/)
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