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「母は強し」ではない「母は強くないとやっていけない社会」なだけだ

先日保育園の送迎を終えて。
誰にもばれないように一人で泣きながらそう思った。


会社で

今時短で働いている。
元々はお客様ありきの仕事をしていたが、娘の保育園対応(体調不良によるお迎え)などの対応が必要になるため、仕事内容を変えてもらい復帰した。

誰でもできる仕事を淡々とこなしながらも、迷惑にならないように働いている。
連携して進める仕事のほうがもちろんやりがいがあるが、アクシデントが起きた時に平謝りで結局その人にお願いすることになる。

どうしても、「自分は戦力外」「申し訳ない」という気持ちが出てしまう。
会社側は今の時期は仕方ない気にしなくても良いと言ってはくれているが、このメンタル不調は自分でもどうやって扱ってよいかわかっておらず、試行錯誤の毎日を過ごしている。

核家族の私にとっては保育園は唯一の頼みの綱

時短とはいえ、預けられる範囲でなるべく預けたいのが私の本音。
テレワーク勤務+副業もやってており、会社の時短勤務時間に加えて、前後もなるべく預けさせていただいていた。

我が子は目に入れても痛くないぐらいかわいいのだが、実家が遠い私にとっては、保育園は頼みの綱だった。
入園が決まったときはとっても嬉しかったし、実際子供も楽しそうだし、ここ数カ月でぐんぐん成長したことは間違いない。
心から感謝している。

だが、先日面談があった。気になったのは以下の2つ。

・出勤前後、預けるのはもう少し遅めに、退勤後はすぐに迎えに来てほしい
・正社員としての出勤時間以外の残業や副業等の場合は、毎日預ける際に理由を伝えてほしい

絶望した。
ああ。ずっとそう思われていたのか。
良好な関係を築けていたと思ったら。
先方には、毎日不信感を持たれていたのかもしれないと思ったら悲しくなった。
(一人の先生に言われたことなので相違かどうかは別問題だし、私が悲観的に受け取っている可能性も大いにある)

子育てはだれにも褒められない。
自分の頑張っている気持ちやしんどい気持ちを持ちつつも、
先生方への配慮や、預かってもらう姿勢というか誠心誠意寄り添ってきたつもりだったが、全面的に寄り添ってもらうにはハードルが高いのだと思い知った。

世の中の風潮と制度のギャップのもどかしさ

たしかに、園側がこちらの事情を把握することは難しい要だった。
なぜなら、市や保育園に提出している書類は

■「正社員としての勤務時間」という点のみ
 → 副業やパラレルワークの状況は加味されていない
■出勤前提
 → テレワークなのか記載する箇所が無い

上記以外にもあるかと思うが、だからこそ、そこに認識のギャップが生まれてくる。
申請できないから、自ら申告するしかないのだ。
言葉で伝えるしかないし、それにより認識の差分も生まれてしまったということなのだろう…。

実際に、保育園に預けて正社員として働いてみて、子供の体調不良により思うように働けないことは多くある。
子供のためにも、フリーランスになりたいと思っても、上記のような前提や、フリーランスになれたとしても一定の稼ぎが無いと点数が下がったりもしてしまう。

子供と大いに時間を稼ぎたいし、柔軟な働き方を推奨している風潮が加速している一方で、
制度としては会社に勤めている「正社員」としての前提が、色濃く残っているキャップに違和感を感じている。

それがもどかしい。
母として自由なキャリアを 
母になっても諦めない  などのキャッチコピーをよく目にするよういなったが、まだまだ解決できてない問題がいっぱいあるように感じてしまう。

とはいえ、生きていく

全体的にネガティブな感じになってしまったが、総じて保育園の存在には助けていただいているし、子育てを一緒にしていただいていることは心から感謝していることは記しておきたい…。
同じクラスのお母さんたちとの繋がりも増え、育休中の孤独に比べたら、かなり仲間が増えた感覚もある。

いろいろ思考はぐるぐるしているが、とにもかくにも生きていかなくてはならない。
なによりも、子供が愛おしいことを忘れずに過ごしていきたい。

子のご機嫌のためにも親がご機嫌であったらいいなと思うわけで。
子供を第一優先にすることが良い親であるという思い込みが自分の首を絞めるから、少しずつ緩めていかなくてはいけないわけで。

日々人間として成長していると信じて。

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