#106 再興,再考,最高,サアイコウ
江戸時代の”振袖火事”(1657年)とよばれる江戸の大火災の後、江戸城天守閣を再建築して再興することが検討されたそうです。しかし実際には作ると事を断念して、その予算を市中の復興にあてたと言われています。その中心人物が、徳川家光の異母弟の初代会津藩主である保科正之で、いわゆる名君としていろいろな小説にその”知性”ある”治世”が紹介されています。
戦国時代に城の効果を熟知していたのは、織田信長と豊臣秀吉だと思います。山城の岐阜城、琵琶湖から一望できる豪華絢爛な安土城を作った信長のもとで”修業”をした秀吉は、長浜城を作り水運による商売と治世を両立し、北条氏の小田原城で総構(そうがまえ)の城郭を見て大阪城を造り、天守閣で人々に「あの人には逆らえない」と思わせる心理的仕掛けを作り上げました。
徳川家康は、戦国時代には珍しく、長生きをしてジッと自分のスポットライトが当たる日を待ち、国替えで押し付けられた江戸の沼と丘陵の荒れた広大な江戸の土地をあてがわれ、せっせと土木工事、治水工事をして”花の都”を造りました。同時に戦闘部隊を官僚組織にリストラも成し遂げ、将軍が”凡人”でも多くの後見人や幕閣が、ここぞという時には”正しい判断”をご進言できるシステムを作り上げています。
今までと同じことをする。壊れたものは、元のとおりに直す。この作業は、それなりに意味があるときには有効ですが、時代の”潮の流れ”が変化しているときには、再考が必要です。時には、今までのことをやめ違うことをするという”英断”が必要です。保科さんは、それができた人だと思います。江戸に来て天守閣がそびえたつのを見るよりも、物流が盛んで活力ある都市を再興する道を選ぶことを再考しています。
ちなみに、保科さんが生き生きと描かれているなと思う歴史小説は「天地明察」です。主人公の安井算哲(渋川春海)が囲碁から算術・暦へと大きく人生航路を切り替える際のキーパーソンでした。ランディパウシュではないけれど、「他人の夢をかなえる人」を実現していた保科さん,”最高”です。
さあ、目の前のこと、続けるか?新しいコト始めるか?よく考えて、立ち止まった後にまた、サアイコウ!