BRAHMAN「六梵全書」で僕たちは何を見たのか
これは2015年、BRAHMANの結成20周年を祝して彼らが巻頭特集となった「音楽と人」での盟友インタビューの中でTGMX(SCAFULL KING、FRONTIER BACKYARD)が語った言葉だ。
しかしながらインタビューの9年後にとなる2024年11月4日、そんな彼の疑問を吹き飛ばすかのようにBRAHMANは75曲、約4時間にも及ぶ壮絶なライブ「六梵全書 - Six full albums of all songs - 」(以下、「六梵全書」)を完走することになった。
BRAHMANの結成30周年は来年(2025年)だが、一足早い2024年後半にアニバーサリーイヤーの口火を切るのがこの「六梵全書」だ。このライブを皮切りに約1年をかけ、彼らは数々のセレブレーションイベントをファンとともに駆け抜けていくことになる。
”梵”とはバラモン教の最高原理である"ブラフマン"を意味し、同時に仏教に関する物事につける言葉である。「六梵全書」とはBRAHMAN(=梵)がこれまで生み出してきた6枚のアルバム「A MAN OF THE WORLD」「A FORLORN HOPE」「THE MIDDLE WAY」「ANTINOMY」「超克」「梵唄-bonbai-」(=六梵)を意味していると考えられ、実際に6作に刻まれた全72曲を4時間かけて披露されることがあらかじめアナウンスされていた。
14時半前に会場となる横浜BUNTAIに到着すると、BRAHMANとともに時を刻んできた40~50代をメインとしつつも20~30代といった若い世代や親に連れられた子供たちまで幅広い層の観客たちが会場を今か今かと待ちわびていている姿があふれていた。みな一様にこの30年間でリリースされたバンドTシャツを纏っていて、それだけでもさながらアニバーサリーイベントのようなのだが、その顔には楽しみな気持ちの裏にこれから行われる壮絶な4時間を見届けようという覚悟めいたものが感じられた。
定刻より少し遅れてライブがスタート。いつもどおりブルガリア民謡「Molih ta, majcho i molih(お母さん、お願い)」がかかるとステージ後ろのスクリーンには30年に及ぶBRAHMANのライブハイライトが次々に映し出される。会場に響き渡る咆哮にも似た歓声の中、ゆっくりとステージに現れた4人が1曲目に選んだのは最新アルバム「梵唄-bonbai-」の1曲目に収録された「真善美」。
その後、TOSHI-LOWの口から『30年はただの一塊じゃないし、今日の72曲も一塊じゃない。1日1日、1曲1曲の積み重ねだ。幕が開くってのは終わりが来るってことだ。一度しかない今をお前が問う番だ。4時間後、ここに立っていられるかはわからないがそんなことは知らない。30年間全力でやってきたんだから。』と「真善美」の歌詞を引用しながら決意に満ちた開幕宣言が伝えられた。
ここから約4時間、6枚のアルバムのみならず「Grope Our Way」「WAIT AND WAIT」から3曲を加えた全75曲を披露し、まさしく死闘が行われるわけだがここではそのライブレポートをメインとするわけでなく、このライブで"BRAHMANが伝えたかったもの=僕が受け取ったもの"について書いていきたいと思う。
※「六梵全書」では様々なWEBメディアで凄腕ライター達によるライブレポートが順次公開されているのでぜひそちらを参考にしてほしい。本noteを執筆時点で全レポートが公開されているかは不明であるが特に僕が好きなレポートが以下。お二方ともBRAHMANと共に歩み続けている僕が大好きなライターである。
まずはMCについて。
2011年以降、BRAHMANのライブでは1曲目終了後、そして本編ラスト曲の前に行われるTOSHI-LOWのMCはひとつのハイライトであり、時におかしく、時にシリアスに語られる言葉たちに観客は様々な感情を呼び起こされてきた。しかしながらこの日行われたMCらしいMCはライブ冒頭「真善美」のあとに行われたものだけであった。
また、様々な場面で常に”ライブバンド”と評されてきたBRAHMANであるが、単に圧倒的なライブをステージ上で展開するというだけではなく、これまでも”ここぞ!”というライブで演出にもこだわってくる一面を持っていることも忘れてはならない。
例えば、ステージと観客席の間に幕をかけて映像と投影する裏でライブを行うという演出は2000年代半ばくらいアルバムリリースツアーファイナルを中心に取り入れていたし、2018年に「八面玲瓏」と銘打って行われたキャリア初の武道館公演では天井にプロジェクションマッピングを施したり、観客がステージを見る目線の延長線上に4枚のスクリーンを配置することでどの位置からもライブとスクリーン投影される映像を合わせて体感できるという工夫がなされていた。
当然、今回の「六梵全書」で大掛かりな演出が行われると期待していたのだがいざふたを開けてみれば(曲によってメンバーの表情がステージ後方スクリーンに投影されることはあれど)特別な演出は行われることなく、ただただステージ上で熱気あふれるパフォーマンスが行われるのみであった。
2011年以前のBRAHMANのライブは”格闘技”と表現されることが少なくなかった。これは彼らがステージ上に現れたら最後、MCや休憩を挟むことなくぶっ続けで演奏が行われ、バンドと観客の体力どちらが尽きるかの真剣勝負が行われていたことをたとえたものである。
そして東日本大震災が起きてTOSHI-LOWは口を開くようになった。この心境の変化は『(今までは)言葉で伝えなくても各々で受け取ってほしいと思っていた。ただ震災が起きていろいろな当たり前が崩れる中、伝えたいことを直接渡したいという気持ちが芽生えてきた』という趣旨で様々な場面で本人から説明されている。
ただ、30週年という節目の始まりの場においては、普段のように直接自分たちから想いを伝えるだけでなく、それこそ"格闘技"と呼ばれたあの頃のようにあの場に集まった一人一人がそれぞれにバンドの想いを受け取り、持ち帰ってほしいと思ったのではないだろうか。
そして"あの頃のように"という姿勢はこの日のセットリストにも表れているようにも感じられた。
既に多くの場所で紹介されているようにこの日のセットリストは現状最新リリースとなっている6thアルバム「梵唄」から4thアルバム「ANTINOMY」までを収録曲順通り、かつリリースを遡るように演奏しそこから1st「A MAN OF THE WORLD」2nd「A FORLORN HOPE」3rd「THE MIDDLE WAY」の収録曲を組み合わせて演奏された。
そこから僕が感じとったのは”原点回帰”という言葉だった。
2009年に彼らがリリースした作品に「ETERNAL RECURRENCE」というアルバムがある。これは”この世界は全てのものがまったく同じように永遠にくり返される”とするニーチェの思想”永劫回帰”のことであり、過去にあった契約上のトラブルから廃盤とした初期3作「Grope Our Way」「WAIT AND WAIT」「A MAN OF THE WORLD」の収録曲を録り直して製作したアルバムという性質から名づけられたと考えられる。
そして思い出されるのが約10年前、結成20週年のアニバーサリーイヤーに行われた「尽未来際」のこと。11月に幕張メッセ2daysを通して仲間達と行なった「尽未来祭」で大団円を迎えた「尽未来際」であるが、そのスタートは「開闢」と名付けられた3つの小さなライブハウスで行われたライブ。特に初回、下北沢SHELTERで行われたライブは圧巻だった。実は同ライブハウスはBRAHMANが東京で初ライブを行った場所とのことで、この日はセットリストや服装、MAKOTOのMCまでまさに当時のライブの完全再現ライブとなったのであった。
これはひとつの仮説ではあるのだけれど、BRAHMANは周年イヤーを迎える際にはまずキャリア初期の自分たちまで時計を巻き戻し、そこからこれまでの道を歩みなおすという“永久回帰”を行っているのではないだろうか。そうすることで周年イヤーを通してバンド自身、そしてファンたちに対しても次の10年を迎えるための強固の地盤づくりを行っているのではないだろうか。
そのような中、アルバムリリースを遡るように披露されたセットリストが「THE MIDDLE WAY」のパートの入った途端、「A MAN OF THE WORLD」「A FORLORN HOPE」を混ぜた形になったのは何故だったのか。
BRAHMANはアルバムのリリース間隔が比較的長いことで知られるバンドであるが初期3枚は3年間隔と彼らにとっては比較的短いタームでのリリースであり、かついわゆるAIR JAMムーブメント真っ只中から終焉に向けた時期にリリースされた作品たちでもあり、アルバム全体のモードやリリース当時のシーンの空気感が近しいということもあってひとつなぎの作品としてセットリストに反映したのではないだろうか。
「六梵全書」を通して原点に立ち返ったBRAHMANであるが、最後にアニバーサリーイヤーの今後について考えてみたい。
「六梵全書」の最後にサプライズ発表となったのが新曲「順風満帆」と同曲が収録される新アルバム・七梵新書こと「viraha」のリリース、そしてリリースに連なるツアーの開催であった。
今でこそBRAHMANは”孤高のライブバント”と評されながらも仲間がとても多いバンドというイメージが定着している。
しかしながら本人たちもインタビュー等でたびたび言及しているが活動初期から比較的長い間、彼らはシーンの中でもどこか孤独に佇んでいるバンドであった。それはメロディックパンクにもハードコアにも100%で区分け出来ない独特の音楽性や、馴れ合ってたまるかという彼らの意思も関係していたのかもしれない。
そして、長い時間をかけて音楽やバンド、そして生き方を周囲に示し続けることで本当に信頼できる仲間が増えていき、現在に至ったのではないか。
原点回帰を果たしたBRAHMANの次なる道はこれまで共に歩んできた仲間達や新たな仲間達との邂逅であるとするならば、「vihara」リリースツアーは大規模な対バンツアーになることが予想される。実際、20周年「尽未来際」で行われたツアーも「畏友」と銘打ち、各地のライブハウスで盟友たちと対バンを繰り広げた過去もある。
そしてその到達点として既に開催が発表されている仲間達との千秋楽となる「尽未来祭」が控えている。
一方で新アルバムのタイトルが「vihara」となっているのが気になるところでもある。”vihara”とはヒンディー語で”離れたことで初めて気がつく相手の大切さ”との意味だそう。その意を捕まえるのであれば、30周年においては敢えて仲間達から離れてワンマンツアーとして日本中を周り「尽未来祭」という場で仲間達と再会する、というストーリーが描かれるのかもしれない。
いずれにせよBRAHMANの30周年アニバーサリーは始まったばかりである。そしておそらくこの1年を通じてあらゆる形で彼らの30年の歩みを体験させてくれることは間違いない。一緒に歩んできたファンにとっては自分ごとのように懐かしく、新しいファンにとっては知らなかったバンドの歩みを体感できる機会でもある。
ゴールテープがはられた「尽未来祭」までみなでバンドを祝いながら楽しもうじゃないか(本当に「尽未来祭」が最後、だよね?)