懐かしき昭和アニメの世界 その2
昭和のアニメには、いくつかの特徴がある。
その一つ。主人公の生い立ちにおいて、シングルの家庭あるいは親がいないという背景である。
『みなしごハッチ』などそれがタイトルに表れている作品もある。
『タイガーマスク』の主人公、伊達直人は「ちびっこハウス」出身のプロレスラーだ。「虎の穴」というレスラー育成組織から抜け出し、タイガーマスクとなってミスターエックスから送られてくる刺客たちをリングでやっつける。力道山から始まったプロレスがジャイアント馬場やアントニオ猪木に受け継がれていた時代である。
世界の文学をアニメ化した作品についても同じ背景をもつものが多い。
『フランダースの犬』の主人公ネロは、両親がなくたったひとりの身内である祖父も病気で亡くなってしまう。
『アルプスの少女ハイジ』も両親がおらず、第一話では叔母から祖父へと預けられていく場面が描かれている。
世界名作劇場シリーズでは『小公女セーラ』は母親がおらず、ダイヤモンド鉱山を持つ父親が他界。寄宿学校では特別待遇から召使へと一気にどん底へ落とされる。『愛少女ポリアンナ』も母親がおらず牧師の父親に育てられているが重い病気にかかってしまう。
置かれた家庭環境の厳しさというものが、作品における主人公の背景として描かれているもののなんと多いことだろうか。
だからこそ、厳しい現実の中で、希望と夢をもってたくましく、また健気に生きていく姿に子どもも大人も癒され、励まされたのだろう。
一方で、令和の時代におけるアニメの主人公たちはどんな背景を持っているだろうか?
そこにもいくつか特徴があるが、昭和アニメと大きく異なっている点が大きく二つある。
1つは、異能(魔法や特殊能力など)を持っているという点
もう一つは、現実ではなく異世界転生あるいは異世界とのつながりを持っているという点。
いや、昭和アニメにおいても、
「バビル二世」
「ひみつのアッコちゃん」
「エスパー魔美」
魔法少女シリーズなど、異能力をもつ主人公やヒロインたちが出て来なくはない。
しかし、彼ら異能力を持つ人物たちの家庭環境や生い立ちは多くの場合、厳しく残酷なものではない。虐待を受けたり、いじめられたりはしていない。
異能力と生育環境は無関係なのである。
では令和アニメはどうか。
必ずしも、ではないが現実逃避的な側面が強い。
ブラック企業で働いていた主人公がついに過労死し、気付いたら異世界へ転生…など。そこで新しい人生を新しい環境で生きていく。その現実離れした妄想を楽しむのである。
昭和アニメが厳しい現実にあって、あきらめないで希望をつないで生きていくのに対して、令和アニメは、厳しい現実から抜け出して、全く異なる環境で、全く異なる姿で、与えられた能力を活かしてやり直して生きていくというものである。それはそれで新鮮で現実逃避でき、リフレッシュできるものの、視聴者は厳しい現実をますます忌避していくような気もする。つまり昭和と比べて作品数は膨大でありながらも、見る者の生きる力や励ましの元になりにくいのではないだろうか。