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仕事の話



仕事の話


色んな方の色んな症状を見ながら人生を垣間見る事が多い仕事をしているので
なんとなくとても大きなものにやられそうになる瞬間があります。


なんでこんなモン抱えながら生きてきたんだろうって
思うような人生を歩いてる人と会った時は尚更そうなります。

病気になる、障害を抱える、精神を病む
の逆の健康であるってなんだろうなと

与えられてる条件で弾き出される結果から
逃れられたのかどうかを見せられてるような
そんな感覚になることがあります。

辛かったねとは言えるかもしれません
でも、そう簡単に分かるものでもないから
本当にそう言っていいのかはわかりませんが
出来る誠意を探してそう言えたらいいなと思います。

社会が動く時はなおさら沢山の溢れてしまう人がいて、
それはお金の問題だけじゃなくて
身体的な病気まで及ぶとすると
社会の空気は気圧のごとく圧迫してきてる気がする

高齢化社会の中で予防医学をやっていくとなると精神医学を発達させる必要が
あるんじゃないかっていうのが持論です。

社会が大きく動いた戦争から続く暴力の構造の破壊を
目指さなくてはいけないということだと思ってます。

どういうことかって
こういう論があるんですけど、
大きく社会が動く戦争は「社会を巻き込む暴力」と言えます。
その体験世代が抱えた命の危険はトラウマになります。
トラウマによる再体験から感情のコントロールが付きづらくなり、それは子供への不適切な教育となります。時には暴力にもなる。

その暴力を受けながら育った子は精神を病むか、また自分も暴力を振るうようになると言う図式です。


引きこもりの50代の無敵の人の犯行が話題になりましたけど、
この辺の繋がりが関係しているんじゃないななと
仕事で触れ合う人達を見ていても感じます

被暴力だったり不安を抱えたままの方がいて
診断されない精神疾患を抱えたまま
別の障害を抱えてくる例がある気がします

悪循環は三世代くらいは続くなんて話もあります。

なので、健康に過ごすのに社会を全部変えるのは難しいから、
精神医学が福祉分野も含めて機能しないかな
と思うのです

まぁ、極論暴論で流しちゃっていい話なんですけど、
悪魔が居るとしたら、そこにいるんじゃないかなと思います

喉を潰したその精神については…戦争の選択肢を奪い、社会が治療をきちんとなければ、「悪魔」を殺せないと思ったりします。