5年ぶりの妊婦生活ー日本で子どもを産み育てることについて改めて思ったこと
私事ですが、もうすぐ3人目の子が産まれる予定です。
今回5年ぶりに妊婦になってみて、日本で子どもを産み育てることについて色々考えることがありました。
恵まれているなぁと改めて感じたことも沢山あったし、逆に、がっかりしたこともあり、、
今日はそのことについて書きたいと思います。
日本で子どもを産み育てる上で、恵まれているなぁと思うことは沢山あったのだけど、
・お母さんや赤ちゃんが安全に出産を迎える環境が整っている(日本は、周産期に母子が命を落とす割合が最も低い国の一つ)
・出産費用の大半を補助してもらえる(出産育児一時金)
・産休、育休制度があって、給与も一部保証されていたりする(わたしはフリーランスなので、残念ながらその恩恵は享受できないのだけど…昨年にはパパの産休も制度化されましたね)
・子どもの医療費が無料または安価で、医療へのアクセスがしやすい
・3歳児クラス以上は子どもの保育料が無料(幼児教育・保育の無償化)
・小学校まで、栄養バランスの良い給食が安価または無償で提供される(物価高で給食費の無償化をする自治体が増加)
・治安が良い(もちろん恐ろしい事件も起こるけど、、やっぱり世界的にみると安全性は高い)
もちろん、世界を見たらもっと手厚い国もあって、それと比較したら劣る部分もあるわけだけど、、
それでも日本の出産・育児に関する制度が、年々充実しているのは明らかだし、決して世界的にみてレベルが低いわけではないから、それは本当にありがたいことだなぁって、改めて思いました。
中国人のママ友や、アメリカで子育てしている子と話しているとすごく面白くて、
(中国人ママ談)給食が出ないからお昼に一回家に帰るとか、保育園の時から勉強重視であまり遊びの時間や季節のイベントがないとか、
(アメリカ在住ママ談)保育料が全額自己負担だからかなり高額だとか、病院かかるにも手続きが複雑で時間がかかるとか、、
自分や子どもが「当たり前」のように享受している恩恵の数々が、「当たり前ではない」って、気付かされます。(ヨーロッパで子育てしている人にも話聞いてみたいなぁ…)
そういった制度面や環境のハード面は充実していると思った反面、
わたしがすごくガッカリしたのは、社会を構成している「ひと」や「意識」の部分の「無関心」や「冷たさ」でした。
それを感じたのは、電車やバスに乗った時。
お腹がずいぶん目立ってきてから、まぁまぁ混んでいる車内で20〜30分以上立っていても、目の前の優先席に座っている人たちは見て見ぬふり…
席が空いても我先にと他の人が座る…(そしてこちらを見て見ぬふり…アゲイン)
みたいなことが2回連続で起きて、なんだか信じられなかったし、信じたくもなかった。
長男や次男を妊娠していたときも、こんなに席って譲ってもらえなかったんだっけ?これはコロナのせいもあるのか?都会だから?って、頭が混乱した。
もちろん、わたしが電車に乗った瞬間にパッと立ち上がって席を譲ってくれた方もいて、本当にありがたかったのだけど…
露骨に目を逸らされるみたいなこともあり…
最初はイライラもしたのだけど、途中からは、なにが人々をこうさせてるんだろう?って、そっちに興味が湧くようになって、
ヒントをもらえそうかなという本を色々借りてきたので、これから読んでいきます。。
#この国の冷たさの正体
#なぜ日本人は劣化したか
#個人を幸福にしない日本の組織
#不便でも気にしないフランス人 、便利なのに不安な日本人
日本人って、自分の気持ちに蓋をして繕ったりすることが上手で(だから接客態度とかは世界的にみて優れている)、
でもそこにエネルギーを割きすぎて、日常生活でひとに優しくしたり親切にするエネルギーが残っていないのかな?とか
「ひとのため」に行動することが、「自分の幸せ」「自分の喜び」には繋がらないという価値観が強いのかな?とか
心身ともに疲弊しすぎて、自分の方が座って休むことを必要としているという気持ちが強いのかな?とか
他の人も譲ってないから、自分も譲らなくていいやという集団意識なのかな?とか
コロナで、そもそも人と関わることへのハードルが上がってしまったのかな?とか
「見て見ぬ振り」や「無関心」の背景にある要因を色々考えています。
世界には、妊婦や高齢者、障害者が公共交通機関に乗ったときに席を譲られるのが当たり前だったり、
道行く人がベビーカーを持ち運ぶのを手伝ってくれることが当たり前の社会が確かに存在するのに、
日本ではそれが「当たり前」ではなさそう。。
それは、とっても残念なことだと思うのです。
「自己責任」じゃなくて、ちょっとの親切をお互いにし合えるような社会になったら良いなぁー
困っている人がいたら「お手伝いしましょうか?」って、手を差し伸べるのが当たり前になったらいいなぁー
どんな人でも、助けを必要とする時はくるはずだから。
あ、でも、妊婦や高齢者や障害者じゃなかったとしても、人に対するちょっとした手助けができない状態の人っていうのは、ある意味で何かしらの助けを必要としている人なのかなぁ?
必要な人に、必要な助けが届きますように。
日本の社会を覆う空気が、今よりもちょっと優しくなりますように。
でも、ここまでなんだかんだ偉そうに色々言ったけど、その「ちょっとの親切」が、私もできてないときあるなぁー
まずは自分がやらないと。
正しいことを、正しくできる私でありますように。
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