Art in silence
執筆とは私にとって骨の折れる作業だ。
内側から沸々と湧き出る様々な思念・感情・言葉を丹念に見つめながら、本当に重要なものだけをピックアップして繋げていく作業は、とてつもないエネルギーが要る。
それでも、どうしても書きたい、と思う瞬間はある。
...誰も知らない水辺の上に、その場に偶然居合わせた10名がカヌーを浮かべて、ただただ、自然と一体になる。それも真夜中に。こんな遊びが、まだこの現代社会に残っていることをご存知だろうか?
静寂。本物の。
40km 先にある私が住む町の明かりを分厚い雲が吸収し、さながら天然の常夜灯のように、私たちが佇む水辺を淡く、優しく照らす。
暗闇の中で僅かな光が道標となって、雄大な山の影や、4隻ある互いの舟の位置、水草や森の存在感を教えてくれる。
どれだけの音がするか、試してみよう。ふと、ネイチャーガイドが呼びかけて、舟を叩くと、とんでもなく遠くから、反響音が鳴り響いた。これで、半径20km 以内の動物達は、みんな顔を上げたね。ガイドの何気ない一言が、私たちが今、異世界にいることを深く実感させてくれる。
普段、夜の水辺は人間にとっての本能的な恐怖を感じさせる。しかし、この日は、全ての体験が心躍り、何物にも変えがたい至福の時間として記憶に刻まれた。
それは、自然との信頼関係 - 受け入れられ、繋がっていられる - という、かつての我々の祖先が皆持っていた記憶とリンクし、本質的な感動と歓びを呼び覚ますからなのだろうと思う。
...人は言葉を獲得し、言葉によって、人間の世界を構築してきた。
あらゆる制度 - 政治・社会・法律・科学・経済・教育・宗教 - は、言葉によって、人工的に世界を作り上げる試みだった。それが故に、人は言葉によって制約を受けやすい。そして、次第に沈黙を忘れていった。
祈りの儀式に言葉は不要だ。ほんの僅かな時間に、私たちは現代社会の日常から離れ、大自然の神々から受け入れてもらった。
そこには、静寂という名の芸術を、私たちが見えていなかった本物の美しさを、ただ言葉もなく触れられるという奇跡に満ちている。
#至誠塾
#Life as guide
#wilderness
#Life is travel
2021年8月15日
鈴木藍