おじゅっさん
盆の季節。実家で祖父母らの回忌の法要が執り行われた。久しぶりに叔父叔母や従姉にも再会し、子供時代の楽しい記憶が蘇る。
兄弟のいない私は、長期休みのたびに会える従姉に遊んでもらえるのが楽しみで、またその時間はすぐに過ぎてしまったものである。そこには今は亡き祖父母の姿もあり、彼らとの時間は絵に描いたように幸せだった。祖父母が他界してから親戚で会う機会もめっきり減り、家族を繋ぎ止める大切な存在だったのだなと感じる。
今日の法要でおじゅっさんがおっしゃるには
「その方が亡くなっても、その人の心は無くならない」
「その人が亡くなっても、その人との思い出は無くならない」
と。
確かに私の心の中にはおじいちゃんとおばあちゃんは帰ってきていて、素晴らしい思い出が脳内を駆け回った。死者の魂に触れる、などと大人はそれらしいことを言うものだと思っていたが、なるほどこういうことなのかと二十歳になって少しだけわかったような気がする。
父との会話で久しぶりに「おじゅっさん」と耳にした。子供の頃からお寺のお坊さんのことをそう呼ぶ環境で育った。祖母もそう言っていた覚えがある。なぜこのような呼び方をするのか、以前から調べる気にはならないほどのものだったが、常に薄い疑問として頭に残り続けていた。
いい機会だろう。数年後回しにしていたおじゅっさんの意味を調べよう。
「じゅっ」という読みから数珠(じゅず)が関係しているのかと思ったが、どうやら違うらしい。実際は「住職さん」が訛って「おじゅっさん」となったようだ。
ちなみに、浄土宗や禅宗では「和尚(おしょう)さん」と言うのだそうだが、これは訛って「おっさん」となっているらしい。
主に関西で呼ばれるようだが、なんとも関西らしいというか、愛らしい表現だなと感じる。親しみやすくて好きだ。
そんなこんなで祖父母や家族の思い出と、長年の疑問とがなくなった、いい1日だった。
自分にも家族ができても、「おじゅっさん」という呼び方を大切に、お寺とのつながりを持ち続け、お盆などに先祖を思い出すことが何よりのおじいちゃんおばあちゃん孝行なのかもしれないと感じた。