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古典教育の必要性

古文漢文なんか何のために勉強しなあかんねんってよく言われますよね。

僕も理系の受験生でしたし、例に漏れず古典が大嫌いでした。笑

確かに高校を卒業して受験が終わってから、日常生活で古典を使ったことは無いですし、これからも無いでしょう。

では、古典を学ぶ意義はどこにあるのでしょうか?

文部科学省の高等学校学習指導要領 国語(古典Ⅰ,Ⅱ)ではこのような目標が定められています。

古典としての古文と漢文を読解し鑑賞する能力を養うとともに、ものの見方、感じ方、考え方を広くし、古典に親しむことによって人生を豊かにする態度を育てる。

文部科学省HP
https://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/old-cs/1322513.htm


まあ、はっきり言ってこじつけと言うか、詭弁というか…笑
そう思われても仕方ない書き方だと思います。笑
現代では使うことのない古典に触れることで、どう人生が豊かになるかの理由が明確でないですね。

とはいえ、大学生になって自分の専門にしたい分野以外で、人文社会科学にも興味が湧いてきた身としては、この文の意味が分からなくもないです。
ただ、僕にそこまでの教養が追いついておらず、その必要性について言語化して論理的に説明出来ないのがもどかしいですが。


さて、個人的には古典教育は賛成過激派です。(ゆにば〜す はらちゃん風)

その理由は「古典教育がその国家にとって大きい利益となるから」です。

古典はその国の歴史書であり、民族の精神やアイデンティティを示す重要な史料です。
ということは、その内容の解釈次第で「自分が何者であるか」が揺らいでしまうということです。

それは共同体の破壊を示唆し、いずれ国家の崩壊を導いてしまうかもしれません。

公文書の改ざんが取り沙汰される現代日本ですが、禁止する法律があるにもかかわらず、普通に行われているわけです。

歴史は時の権力者によって簡単に捏造されてしまうものです。
これから、今なんかよりもっともっと酷い政権が出てくるかもしれません。
その時に日本がどのような歴史であったかを恣意的に捏造することで国民に歪んだ思想を植え付けようとするかもしれない。

「日本の最高神はアイス(僕)だ!崇め奉れ!!」と言われた時、
古典を読めない国民が「それは違う!」と政権にブレーキをかけられるでしょうか?
無理です。だって読めないんだもん。

「興味のある学者さえ読めればいい。」は完全に間違っています。人間、金を積まれれば、或いは脅しをかけられれば、簡単にコントロールできてしまいます。
だから、国家が完全にコントロールできない国民が、なんとなくでも古典が理解できること。
その知的財産が広く国民に共有されていること。
それがリヴァイアサンの横暴を止める力になると思うのです。

古典廃止派は行き過ぎた個人主義的思想だと思います。
自分さえ良ければいい。家族や友達、お隣さんなんてどうでもいい。
こんな無責任な考えが蔓延しているのはとても悲しい。

右から左までいろんな考えがあって、どれも認められるべきだと思いますが、みんな結局、故郷が好きで日本が好きなんじゃないかな。

意見の違いはあれど、良い日本を作るためには、一定水準以上の国民の教養が必要だと思います。

そのためには僕も古典をある程度できるようになっておきたいなと考えている感じです。

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