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#1|決めないからこそ、願いが叶う

矛盾していることを言っていると思われるかもしれませんが、「決めない」ということは、非常に重要なことです。何を決めないのか。道筋を決めないhowを決めない、ということです。

もう一つ重要なことは、自分は実は何を願っているのか、わかっていないということ。「あなたの願いは何ですか?」と尋ねられて、すぐ浮かんできがちなことは、多くの人にとって、きっとそれは形レベルの願いでしょう。「自分にピッタリの仕事が見つかること」、「最高のパートナーと出会えること」、「健康な体でいられること」などなど。けれどもそれは、表面的な願望であって、切実な真の願いではないのです。

形レベルでの願いを、「絶対叶えるんだ」と誓って努力し、確かに実現できたとしても、どうでしょうか、心は平安に満ちているでしょうか。欲しいものが手に入ったら、その瞬間は喜びを感じるかもしれませんが、悦に入るのも束の間、今度はそれを失わないように、奪われないように、恐れながら過ごすことになるのではないでしょうか。あるいは、「もっと欲しい、これではまだ足りない」と、さらに追い求めて、満たされなさをずっと感じ続けることになるのではないでしょうか。

このようであることの、どこが「幸せ」なのでしょう。これは、本当に、「願いが叶った」と言えるのでしょうか。わたしたちが心から真に望んでいることは何なのでしょう

真の願いがもし叶うなら、わたしたちは幸せでいられるはずです。心は平安そのもので、満ち足りていて、静かな感謝に溢れていることでしょう。焦ったり、イライラしたり、不安になることはあり得ません。

幸せになりたい。心が喜びに満ちている毎日を生きていきたい。心穏やかに、安らいで、楽しく生きていきたい。

願っていることと、実現した状態というのが同じでないとおかしいですよね。お金がほしいという願いを抱き、たとえ手に入っても、不安や心配が消えないのであれば、それは極めて不自然なことなのです。
お金がほしいんじゃなくて、安心したい。周囲から認められたいんじゃなくて(何らかの肩書、ポジション、資格がほしいんじゃなくて)、安心したい。パートナーがほしいんじゃなくて、安心したい。

「安心したい」という願いが叶ったら、安心していられます。「幸せになりたい」という願いが叶ったら、幸せでいられます。
望んでいることは、形レベルのことではなくて、わかりやすい言葉で言うなら(もっと深い観点から言えることはありますが、平易な表現を使うなら)、安心したいということであり、幸せでありたいということ

そのために何が必要なのかを、自分で決めないどういう流れによって幸せになれるのか、その方法・ルートを自分で決めない。ここが、重要ポイントです。すべて内なるガイドにお任せし、聖なるガイダンスに従うことで、愛と奇跡の体験へと運ばれ、日常が真に豊かなものになります。

決めないからこそ、願いが叶うのです。
このことを軸にしながら、noteでは、わたしが『A Course in Miracles(ア・コース・イン・ミラクルズ)』という、世界的に知られている本(「スピリチュアルの古典」と呼ばれているそうです)を学んで受け取った気づきや贈り物について分かち合っていけたらと思っています。

ACIMのゴールは、幸せと平安であると述べられています。幸せと平安を思い出すための道をガイドしてくれるのが“コース”なのです。それは、形レベルで何かを追い求めるよう促すのではなく(それは必ず失敗するからです)、心のレベルで導いてくれる、パワフルな本、教えです。

ACIMは、日本語版としては『奇跡のコース』(ナチュラルスピリット)、もしくは『奇跡講座』(中央アート出版)という題名で販売されています(YouTubeの「はじめてさん向けコーナー」#01で詳しくお話しています)。

このnoteでは、ACIM独特の言葉ばかり使うのではなく、コースをご存知でない方にも楽しんでいただけるように、誰にでもわかる言葉、伝わる表現で綴っていきたいと思います。

みなさんと一緒に、聖なるガイダンスに委ねて、優しくてあたたかいスピリチュアルジャーニーを味わえたら嬉しいです**

Blessings,

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