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障害者、外人、渋沢栄一

Twitterを何年も眺めていると、周期的に話題になるコンテンツがあることに気づく。三ツ矢サイダーにアイスの実を入れたり、4℃のアクセサリーやサイゼリヤを揶揄してみたり。

未だにXをTwitterと呼んでいる厄介人間の私は、そういう平和なTwitterが好きだったんだと思う。最近のタイムラインは政治とジェンダーで埋め尽くされて、リプ欄はインプレゾンビで埋め尽くされている。うんざりだ。

でも最近のSNSはビックリ系(ジャンプスケア系)の動画が流れてこなくなったよね。5,6年前までは、動画を見るときは常に警戒しなければいけないイメージだったんだけど。そういうところは助かってる。

Twitterで周期的に話題になるコンテンツがある、という話に戻ると、最近また乙武さんのnoteが話題になっていた。

「障害」を「障がい」と表記しておけばいいだろうという安直さにドロップキック。|乙武 洋匡

これ、書き出しから面白すぎる。すごい記事だなあ。

で、この記事がどういう意図で書かれたものかというと、

大事なのは「障害者」という呼称をなくすことじゃない。この社会から、できるだけ「障害」を減らしていくことなのだ。

「障害」を「障がい」と表記しておけばいいだろうという安直さにドロップキック。|乙武 洋匡

こういう結論に落ち着いている。本当にその通りだと思う。
全文無料なので、みなさん元記事を読むことを強くおすすめしたい。

そのうえで、私は「障がい者」と書くし、「障害者」という表記を使うことはしない。なぜなら、「障がい者」という表記が流行った時点で、「表記に傷つく」という選択肢が生まれていると思うから。

障がい者、という表記が普遍的なものになってしまった今、あえて「障害者」という表記を用いるのがリスクでしかない。実際には100人に1人もいるか分からない、「障害」表記に傷つく人をケアする必要性が出てくる。

故に、「障害」を「障がい」と表記する安直な人間たちの一人になっている。ので、そこで満足せず、その先の社会的課題にしっかりと目を向けていきたい。

同じような問題として「外人」という呼び方がある。これも私は使わない。たまに目にしたり耳にしたりしてちょっとヒヤっとする。リスクでしかないから。

さらに、私個人は「外国人」「アメリカ人」って言い方まであまり好きじゃない。英語でいう「Foreigner」感をちょっと感じるから。「海外から来た人」「アメリカの人、アメリカ生まれの人」みたいな言い方を選ぶようにしている。

別にそんなことで傷つく人間がいないことも分かっているし、中国ハーフである自分も「ハーフ」と呼称されることにも「外人」と呼称されることにも全く何も思わない。全然大丈夫。

それなのに、流行った時点で、それを「マナー違反です!」と気にする人がいることをケアせざるを得ない状況にある。

そう思うと、やっぱり「えせマナー講師」というのは許せないな。最近日本では新紙幣が導入された結果、「渋沢栄一のお札は結婚式のご祝儀に使ってはいけない」という謎のマナーが話題になったことがある。最初はジョークだったのかもしれないけど、「えせマナー」は流行った時点で一定の効力を発揮する。

「一応、福沢諭吉にしとくか」「一応、障がい者と表記しとくか」という力が自然に働いた結果、リスクのある表現、行動などが淘汰されていくんだろうな。

ちなみに、LINEとかで「~~だしね」って表記を使うのもゾクっとするからやめている。「~~だしな」「~~だよね」に言い換えた方がリスクがないから。別に誰も気にしないのにね。

私も何か「えせマナー」を作って流行らせてみたいな。
例えば、

4拍子は忌み言葉の「死」を連想させるので、
結婚式のBGMはワルツが好ましい。

こういう感じでどうですか?

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