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人の気持ちはわからない〜映画:女たち

映画「女たち」を見てきた。
重めなドキュメントチックな作品が好きな私。見た瞬間にピンときた。



こういう情緒系な映画は、背景説明が丁寧にあるわけではないので、モヤッとすることも多い。今回の映画も登場人物の背景がはっきりわからなかったり、「ん?どういうこと?」と気になることも多かった。だけど、自分の普段の生活を考えてみると、わからないは日常に溢れている。起こる出来事の意味や、それこそ関わっている家族や友達の気持ちなど、わかっているようで、その実わかっていないことが多い。普通の映画は懇切丁寧に背景やその人物の心情をきっちり示してくれるけれど、こうやってモヤっとしているからこそ、普段の生活に近いような気がした。わからないは日常に溢れている。全部が全部、完璧に説明がつくことなんてなくて、理解できないこともはっきりしないグレーなことも、そこに在る。そんな日常に私たちは暮らしている。

私がこの映画から大きく得たのは「人の気持ちはわからない」ということ。「わからない」ということを認めてしまうこと。腹を括ること。

自殺してしまった香織は死の前に何を思っていたのだろう?その場面を目を凝らして見た。その気持ちをわかりたいと思った。「なんであなたは死を選んでしまったの?」

でも、到底わからなかった。むしろ、わかってはいけないと思った。死を選ぶほどの苦悩は簡単に理解できるものではない。その想いには歴史がある。たった数十分その人の話を聴いたところで「わかった」なんてことは、おこがましい。そう感じた。

でも、わからないからこそできることもある。「わかりたい」ということに一生懸命になること。わからないけれど、わかりたい。理解したい。

傷ついた人が再び立ち上がるには何が必要なのだろう?そのためにできることは何だろう?私に何ができるのだろうか?

「ミツバチみたいに一生懸命に生きてきたんだよ」

この世に生きる人全てが一生懸命に生きている。涼しそうに生きているあの人も、何の不自由もなく暮らしているように見えるあの人も、みんな例に漏れず一生懸命生きている。そんな気持ちに触れると、なんとも言えない気持ちになる。私は健気に生きている人たちを尊敬している。

私たちは皆人生が初めてだからわからないことだらけ。だから手を取り合って助け合って支え合って生きていけるような優しい世の中になるといいな。そのために、私にできる些細なことを今日も一つやっていこう。その些細な一つが、波紋のように広がっていくことを願いながら。