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ブラック企業に勤めて一か月で辞めた話

ご挨拶

 初めましてアイシャと申します。身バレ防止の為ぼかして話すこともございます、ご了承ください。
 タイトルの通り、一か月でお仕事を辞めました。国家資格の某医療系のお仕事でした。
 特に辞め方を書いてるわけではないです。人任せで辞めました。辞めようと思っている方には何の参考にもなりません。


~国試

 卒業試験を落とした私は追試の為に勉強にいそしんでおりました。そう、就活もせずに。すべてはここから始まりました。(それまで考査落としたことなかったのでどうしたんだ?と呼び出しをされました。)

 なんやかんやで卒試の追試に何とか受かるも、私はやけを起こしておりました。国試の会場で応援に来てくださった先生がカメラを向けてきましたので笑顔で写りました。

 その後学校ホームページで出されました。「こちらの学校は、国試の日でも笑顔で写れるほど勉強をしっかりしてくださっているのですね。ぜひとも通わせたいです。」というコメントが後日つきました。

 ごめんなさい、卒試落ちた奴が満面の笑みで写ってるだけです。でもそのおかげできっと入学希望者が増えたはず!ほめて!!そして「今年は難しい」を毎年毎年ボジョレーかのように更新してくる国試が終わりました。

 特に私の中では当日に事件は起こっていませんでした。

 私は国試の会場が遠方でしたので前泊をしていました。さらにもう一泊したかったのですが、次の日は国試の自己採点の為登校を義務付けられておりました。頭を使って重くなったからだを引きずって帰りました。学校近くのホテルに泊まりたかったです。
 そして先生が作成した正答を見て自己採点をしました。

結果はボーダーから二点足らず。

「あああああああ!!」
 家に帰って私は発狂しました。
 落ち着いてから、やる気も何も起きず。逆に、就活しなくてよかったー、試験落ちましたって連絡入れずに済んだと謎の安堵に包まれました。

 それがいかんのやぞ私。


~卒業

 まあ、そう考えていても働かねば、生き延びることができない。
 先生にはまだ確定してないから受かってるかもしれないといわれ、とりあえず(?)有資格での就活を始めました。

 家の近くの院を選び、受けに行く。
院「うちの院入る前(新年度前)に新人全員集めて事前研修をします。この日付です」
「申し訳ございません、指定日から免許の合宿が始まりますので、難しいです」(実習が忙しくて車の免許は取りに行けなかったのです)
 その日は3月の末、事前研修から、そのまま新年度に突入の期間でした。

 私はその場で落ちたことが確定されました。何故なら、そこに通う為には、車がいる。一旦予約した合宿をキャンセルして、働きながら通いで免許を取りに行くには一人暮らしをしなければならない。
 しかし田舎なので、賃貸が空いてない。寮は、県外出身者優先。
 どうあがいても、働くのに難がある私をとるわけがありません。

無い内定のまま学校の卒業式を迎えました。


車の免許取得、国試の結果

 そうして、私は車の免許を取りに行くために、合宿に赴きました。早さを優先したので相部屋でした。キャンセル待ちではいったので他の人は友達同士でした。

 共用の風呂場でインスタ用の動画を撮り始める人がいたり、私はこの(合宿参加者)中で一番年上!(大学生)とかいってる人がいたり、まあ、なんというかカオスでした。

 ドキドキしながら国試の結果発表日を合宿先で迎えました。時間にページを開いても、まだ結果は出ていない。
 しばらく待ってページを開き直します。
 PDFが来ている! 時間ぴったりに出せよ! と少し怒りながら開きました。

受かってた!!

 やった。後は合宿を終えて、車の試験を受けに行くだけだ!!
 今日はめでたいから近所の喫茶店に行ってケーキ食べよ。おいしかったです。あっ、家族に伝えるの忘れてた。夜に連絡を入れました。今日だったか。はい、今日でたよ。

 仮免も落とすことなく順当に受かり、全てを終え、家に帰りました。
 次の試験日に試験場行かないと、平日ずっとやってるのね、月曜行こ。受かった。


いよいよ就活

 学校の募集をみつつ、ハローワークを見て探し始めました。
 最初は家から通える範囲で、働き始めたら通うのがしんどい所を探そう。一人暮らしがしたい。そう思って面接まで行っても、家の遠さで遠慮されることが多くなかなか決まりませんでした。

 ハロワでここは確実にずっと通えてしまうけど、まあ何とかいけるな。そう思った私はそこを受けました。

 仕事を探すときはハロワは止めとけと言われているのを知らないまま。


面接(昔の記憶なので衝撃的な言葉しか覚えていない)
院「実はここの院じゃなくて他の院の募集なんだよね」
「どちらでしょうか」
院「○○市の方、何割か住居手当も出すし一人暮らし用の物品をプレゼントしますので」
 ハロワに掲示された□□市とは二つ隣りの市。私の居住地とは逆方向です。

 一人暮らしをしたかった私はそれに頷いてしまいました。
 普通に考えて□□市の募集をしているのに中身は○○市の募集という時点で怪しさしかありません。(今の私はちゃんとわかっております。)

院「彼氏いる?」
「はあ……」
院「結婚の予定は?」
「ないですね」

 やべえところのテンプレートな質問ですね、世間知らずの私には分からない質問でした。
 なんやかんやで○○市に行くことになりました。


仕事

 初めて一人暮らしのために借りた部屋は快適でした。
 9時始まりと記載されていましたが、出勤時間は8時。休憩時間は3時間のはずなのに基本30分。帰りはカルテの記載、日報等々、2時間の居残り。

 そうですね、ブラックどころかダークマターですね。

 部屋が快適でも全然気が休まらず、何もなくても部屋に戻るたびに泣いてました。
 時間があえばひたすら電話で身内に泣き言を言っておりました。

 そうして自覚症状が無いまま体を壊し始めました。

 そして、しばらくたった休みの前日23時に
院「休みの日は□□市の手伝いに行くんだよ。」
 な、なんですってーーーーーー明日は家族との予定が!
「はいわかりました」

 その時には24時帰りが当たり前になっており、長袖で通っておりました。そう、真夏日であっても長袖を着続けていたのです。

 次の日出勤時より早い時間に起き面接を受けた院に移動しました。一通り□□院の動きを確認してから。
先輩「今日実は何か予定あったんじゃないの?いきなり決まったから……」
「実は、家族と約束がありました」
先輩「じゃあ行ってきなよこっちから言っとくよ」

 それはまさに天からの助けでした。

「ありがとうございます!」
 書いてて思ったんですけど、多分帰ったらダメだったんでしょうね。

 そして家族との合流場所に車で移動しました。
 今まで通り長袖のまま。最高気温30度越えの暑い日に。


家族からの指摘

 喫茶店や、本屋、一緒に買い物をしてストレスを解消できた後、部屋に戻るだけになり私が車を止めていた駐車場に移動をしていた時でした。
「今日は楽しかったー久しぶりに会えたし!」
姉「よかった」
「いきなり手伝いとか言われるし、車止めた所の警備員さんにぎょっとした目で見られたけど、本巡りたのし……」
姉「たぶん長袖着てるから」

 姉は食い気味に伝えてきました。
「あれ?」
昨日もその昨日もそのまた昨日も………あれ? 私今年半袖まだ来たことない。
姉「今日何度やったと思う?」
「涼しいから、20度前半!」
姉「そこの街頭テレビ見てみ?」
「?」

 そこには32度と書かれた気温表示がありました。
 それでも私は汗もかいていなかったのです。
「暑くないよ?」
「次の休みの日病院行け」
 もうその日は病院の時間が過ぎていました。次に行けるのは何日かもわかりませんでした。

 そこで私は体を壊していることに気づいたのです。


 生命の危機

 体を壊していても、働かないと生きていけません。次の休みまで何日かもわかりません。そのまま働いていました。
 患者を診ていた人が後のことを私に任せて別の患者を見に行きました。

「なんか痛い気がする」
「店長!」

 その日そう言った患者は家に帰った後救急搬送されて、検査の結果けがを負っていました。

店長「明日謝罪に行くがどうなってけがを負ったか分からない、△お前どんなことをどのようにしたかアイシャ(名字)をつかってそのままその通りにやれ」

 は? 本当にそのまましたら私も入院案件のけがをしますが?

△「僕じゃないです、最後に患者と関わったのはアイシャ(名字)さんなのでアイシャ(名字)さんのせいです」
店長「いいからやれ」

 どっちにしろ嫌な事には変わりません。ですが断れもしません。台に横になりました。
 私はその時にけがをせずに無事に生きています。ですがそれで、辞めたいと強く思うようになりました。入って3週間の話です。


呼び出し

「技量の低下により、患者にけがを負わせたから、勤務時間後に全員□□院に来い」

 全員連行されました。

「俺が教えてた新人は全員泣かせたけどお前は泣かんな」
 どういうことだよ。その日は2時に終わりました。

退職

 部屋に戻るたびにギャン泣きしていた私。真夏日に長袖を着ていた私。もう限界でした。仕事の動きが悪くなり、とうとう患者の前で怒られました。
 仕事場では泣かないようにとか考えていた理性の私は遠くに消え去りました。

 人前で声も出さず涙だけがボロボロ落ち始めました。

 そのまま休憩をいただき、体調が悪いので病院に行きたい。そう伝えると、この病院が一番昼休み明けが早いからここに行け。と指示を受けました。

 そうしてボロボロになりながら、病院に行き、もうその仕事辞めな職場としての体を成していないと後押しをいただき退職代行をつかって辞めました。

 働き始めて、連絡を入れるまで、その間1か月です。

 締め

 こんな職場ばかりではないですよ(多分)ご安心ください。
 体感温度が壊れていて唯一助かったのはそうめんをゆでた後水で〆る作業が熱くなかったことです。

基本実録を書いていこうと思っています。よろしくお願いします。