誰かのために曲を作ること
作曲を始めたきっかけは「誘われたから」。
でも、作曲を続けたきっかけは「楽しかったから」。
つまり「自分のため」に曲を作ってきた。
そこには特に夢や目標はなく、ただ闇雲に作ってきた。
しかし、いつしか僕は「誰かのために」作曲をするようになった。
高校生の時は、文化祭でアイドルをテーマにした演劇に参加し、アイドル役の同級生たちが歌う曲の制作に携わった。
「劇団員のため」に作った。
卒業する「妹のため」に作ったこともある。
ボカロPになったきっかけも、
当時遠距離で付き合っていた女性の誕生日に、
「その人のため」に作ったこと。
誰かのために作ると、その人が喜んでくれたり、
喜んでくれてるかな、と想像したり、
そんなことがある。
僕はその瞬間が一番好きだ。
2024年4月13日。
僕はまた「とある人」のために作った曲を投稿した。
声優・大熊和奏。
僕の推しであり、僕が「命の恩人」だと思っている人物。
彼女に向けた曲である。
2022年。
それは僕にとって生まれてから最大の厄年だった。
失ったものもあった。数多くの失敗をした。
いっそこのまま死んでやろうかと思うくらいに病んだ。
そんな年に起きた出来事で一番幸運だったことが、
「大熊和奏さんとの出逢い」だ。
厳密には「知った」のが2022年。
彼女に興味を持ち、本格的に推し始めたのは翌年のこと。
彼女が所属するグループ・Liella!は3rd LIVE Tourの真っ最中だった。
僕がたまたま幕張メッセに行き、その日Liella!が幕張メッセでの公演を控えていることを開演数時間前に知った。
「当日券販売中」の文字。
半信半疑でイープラスを閲覧すると、確かに販売していた。
Liella!を知ってはいたもののライブを見たことがなかった僕は、興味が湧いた。
見てみよう。
そこで見たライブは圧巻だった。
まだコロナ禍と呼ばれる時期。
声出しは禁止。
それでも楽曲とパフォーマンスで魅了する9人とゲスト。(当時はまだ3期生が加入していなかった)
その中で特に異彩を放っているように見えたのが、
大熊和奏さんだった。
それから、今まで見ていなかった生放送のアーカイブ、その後のライブなどを見ていくうちに、大熊和奏さんの魅力に溺れていった。
大熊和奏のベアーズビーアンビシャスも第1回から見始めた。
4th LIVEと5th LIVEは現地全通した。
サイン会にも行った。
そこで気付く。
大熊和奏さんを知ってから、
大熊和奏さんを推し始めてから、
毎日が色鮮やかに彩られて、とても充実している。
新しい目標もできた。
「大熊和奏さんに楽曲提供をしたい」
サイン会で本人に意思表明をした。
普段の様子なら、彼女は笑ってこう言うだろう。
「おう!頑張れ!👍」
でも、現実は違った。
「、、、っ!! 待ってる、、、!!」
僕に対して、真っ直ぐ目を見てそう言った。
涙が溢れそうだった。
それが2月の出来事である。
大熊和奏さんの誕生日は4月。
ここから僕ができることはなんだろう。
誕生日に向けて、僕ができることはなんだろう。
知り合いのシャケ(大熊和奏さんのファンネーム)の行動を思い返してみる。
水瀬えあさんは「好きなところ100」。
ひなたさんは「くまっぷ」。
フラスタを企画する人もたくさんいた。
じゃあ、僕には何ができる?
音楽だ。
まだ推し初めて1年少し。
だが、この1年を生きられたのは、紛れもない大熊和奏さんのおかげだ。
その感謝を伝えられる曲を僕は作りたい。
その一心でできた楽曲。
「レスポンス」
アイドルが特定のファンのアピールに対して、
個別で行うファンサービスである「レスポンス」
それに救われた僕から、あなたに贈る「レスポンス」
大熊和奏さん
僕の一生を賭けて、あなたを推します。
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