【令和6年王祇祭レポート】⑤下座当屋
今年の王祇祭、個人的な目玉がひとつありました。
それは下座で1日目の行事などを当屋の家でするという事!
昔は当屋の家でするのが当たり前で、家の作りもそれに合わせた設計になっていましたが、今の家の作りではとても難しいのもあって、近年では上座も下座も公民館でする事が多いんだそう。
かくいう私も、櫛引で働き始め、黒川能に関わるようになって6年目ですが、今回が初めてなのです!なので、実はとっても楽しみにしていました。
下座当屋の遠藤重左衛門さんの家は、事前奉納でも伺ったので中の様子はわかっていたのですが、17:30頃に伺うと、もう家にはたくさんの人でいっぱい!何人いたのだろうか…。
ようやくゆっくり周りを見渡すと、あれ?と気づいたことが。
この座敷ってこんなに広かったっけ?…と思ったのです。舞台の右側には王祇様と当屋頭人がいて、その近くに白い布が巻かれている柱が…。
あ!ここ仏壇があったところだ!しかも壁やら木の戸があったところ!
なんと仏壇を外し、奥の方に移動していて、壁もなくして部屋一つ分が空いた感じ。
奉納の時はどこに舞台を作るのか?L字型の座敷でどうやるのか…と考えていたけど、仏壇のある間を開放すれば、四角の大きな広間になる。
これが、家が王祇祭の造りってやつなのか!うわー
そういえば、奉納の時、最近は壁を塗る職人がいないとかいう話を聞いたけど、こういう事か!
これを実際に見れて、今日この下座に来ただけの価値はある!と一人喜んでおりました。
さて、18時近くになり、当屋頭人たちが舞台に出てきました。
能舞台の右手の角に立てかけてある王祇様に向かって拝礼します。
(補足説明:王祇様というのは、春日神社の神霊宿る依代(よりしろ)の事をいいます。王祇祭の朝未明に、春日神社のご神体の二体の王祇様を春日神社から、上座・下座の両当屋にお迎えします。王祇様は長さ2.5mほどの3本の杉の鉾を紐で連ね、頭には紙垂(しで)と呼ばれる紙が巻かれています。)
それから舞台の上で王祇様を開きます。
大事に抱えられてかわいらしいお子さんが能舞台に登場。
王祇様の下で「大地踏」が始まりました。
(補足説明:大地踏は、各座で三歳から六歳までの男の子が二名ずつ選ばれ、当屋と翌日の春日神社で一人ずつ演じます。選ばれた子は、毎日稽古を積んで王祇祭本番に臨みます。汚れのない稚児の足で大地を踏み、忌み穢れを鎮め五穀豊穣を願う大切な舞。)
私には意味が入らず「音」にしか聞こえないのに、こんなにながながと詠唱できるなんて…。
すごいホント。純粋な子供だからこそできることなのかもしれないけど、私は毎年毎年この大地踏で涙が出そうになります。
それから、式三番。
翁の上野由部能太夫の放つ重厚なオーラに感服。
三番叟は動きがあるからか、上座・下座でちょっと違う気がする。
次からは能と狂言が交互に演じられます。
今年の演目は…
「大社(能)」→「禰宜山伏(狂言)」→「箙(能)」→「千鳥(狂言)」→「大瓶猩々(能)」→「節分(狂言)」→「弓八幡(能)」
コロナ前までの王祇祭では、朝まで能の奉納が続いたわけですが、
下座は昨年から終わりが1時過ぎあたりになったようです。
中入り(休憩)もなく、続けるからなのかもしれませんね。
私は最初の「大社」の前半が終わったころ、
「暁の使い」が当屋頭人に挨拶して、上座に向かう事になったので、
そのタイミングで、私も上座に移動することにしました。
次は上座当屋のお話しです。