ぼくの地球をすくって、
本気で世界平和を願っている、ときみと関わりのある人からの言葉に「本気で世界平和を願う日本人、ましてや若い子なんているのか?」そう思った日の事をぼやりと思い出す。その当時は半信半疑だった言葉も、今なら本気で願って、それでも生きているんだろうな、とまで感じる。この3年間で知れたことは、そんなに多くないと思うけれど。「ミステリアスでスピリチュアルな不思議ちゃん」では片づけられないくらいには、こうして見つめ続けている人間に、アイドルの前に人間であることを見せてくれているんじゃないかと、弱さを受け止め、強く強くそう願い生きる時、心が震えて感情を大きく放つ。
世界の声とふれることは、きっとその光を増す事でも、その奥の影を増幅させることでもあるんだろうと感じながら、瞳の色をみつめる。きょうはピンク?オレンジ、いいやきっとブルー。寄り添いながら描く自分の未来は、何色にしたいんだろう。どんな色も好きだから、どんな色でもおそれない、なんて笑う光はやっぱりイエローかな。
すこし物事を広く見つめられるから、とんでもなく端っこに居たってすかさず見つけてしまうその瞳、側にいるよと約束することは一方通行じゃないんだと誓わせてしまうんだから、どうにもそれにこたえたくなる、そんな生命が集まっていれば、さびしい夜なんてないのかな、ううん、そうであるといいけれど、さびしいじゃなく、孤独の夜を愛している時間も、きっとその形がまあるくまあるくつくられているんだろう。でも、さびしいときは、どうしているの?そんなときは、タップひとつでひろがる世界へ降りてきて欲しい。立派な花束はなかなかつくれないけれど、パンジー、たんぽぽ、シロツメクサ、あの花はなんだっけと分からなくてもいい、その心に飛びこむ花になれたらいい。そんな場所をつくる人たちが、いるから。
全てを終わらせてしまいたいと思うとき、そのときにきっと本当にすべてがおわってしまうんだろう。
かなしいけれど、人間ってわすれてしまうから、うんとかなしませてほしい。そして、どこかで生きているって知っていれば、それが心に根付いたその光をいついつまでも灯らせてくれるから、安心して好きなように、好きなこと、好きなもの、自分が表現していきたいこと、食べたいもの、つくりたい部屋、大事にしていきたい生まれ故郷、ひとびと、そして…、願うことを、ゆるしてほしい。ゆるすもなにもないよ、と少し眉をさげ困ったように笑うのかもしれない、もしかしたら真剣な顔になって、あの瞳でただ捉えるのかもしれないけれど、目に見えないものを大事にし続けるひとだから、わたしも目に見えないものを愛して、いつでもいたい。
きみは地球で、スーパーマンで、猫ちゃんで、アイドル。
でも、こうして今を生きるおんなじ人間なのだから。