(1) はじめに
 今回は、私の趣味の一つについて記述しようと思います。私の趣味は、TVゲーム、パソコンゲームや、ソーシャルゲーム、オペラ鑑賞、TRPG、アニソン鑑賞、ドラマ鑑賞、アニメ鑑賞、読書、史跡や観光地や博物館等にいつの間にかふらっと行っていたり、ゆっくり茶番などの動画鑑賞、SNSを用いた情報収集(サブカルから政治界隈まであらゆる手段を使って調査する)や高校の教科書収集など、いろいろとありますが、今回は興味深かった「ミュージカル」と興味深かったゲームについて書こうと思います。

(2)ミュージカル
 昔、私の友人に誘われて、ある学校の学校祭に行きました。そこでは、ミュージカルが公演されていました。そこで、「Half a sixpence」というミュージカルを見ました。そのミュージカルが面白かったので、その後も、その学校祭に行き「Oliver」「Carousel(回転木馬)」「How to succeed」「My fair lady」「The student Prince(学生王子)」などの作品を見ました。

 学校のだけではなく、他のものも見たいとDVDを買ってみたりといろいろと見ました。例えば、「Westside story」と「My fair lady」と「The sound of music」という作品を見ました。特に、興味深かったのは、「My fair lady」でした。

(3) My fair lady
(3-1) 時代背景
 My fair ladyという作品は英国のヴィクトリア朝を舞台にした話です。ヴィクトリア朝時代は、歴史が好きな人や、「黒執事」(漫画)や「アサシンクリードシンジケート」(ゲーム)や「シャーロック・ホームズ」(小説,ドラマなど)などの作品でお馴染みの時代です。(なお、これらはこんな感じの作品です。)

作品を見て知った人などが読者の中にはいるかもしれませんが、とりあえず解説を。

ヴィクトリア朝時代は、産業革命を背景に、植民地獲得など、英国がもっとも対外的な行動をしていた時代で、この時代の英国は「大英帝国」や「太陽の沈まぬ国」と呼ばれておりました。それくらい反映していたというわけです。しかし、その反映の裏で、英国国内では貧富の差が拡大し、そして貴族を中心とする上流階級や、管理職や教師や牧師などの中産階級、そして工場や道端で働く労働者などの労働者階級と結果的に分かれていました。そして、同じ英国人でも、言葉の使い方が違っていたということがありました。代表的なのは、ロンドンの下町のコックニー(Cockney)と呼ばれる訛りがその例です。これはロンドンの労働者の間で使われていました。
ミュージカル”My fair lady”では、使われる言葉がミュージカルの話の流れを掴む重要なポイントになります。

(3-2) あらすじ
主人公のイライザ・ドウーリトルは、ロンドンの路上で花売りをやっていました。偶然、コヴェント・ガーデン(Covent Garden)で、音声学者のヒギンズ教授と出会うことになります。このヒギンズ教授は、下町の成り上がりに上流階級に進出するための「英語」を教えていました。ヒギンズ教授は偶然、ここまで、言語学者でもあるピカリング大佐と出会い賭けをします。そのかけの内容は…「イライザに「英語」を教え込み、上流階級にも通じるレディにできるかどうか」というものでした。その後、あれこれあって、イライザは、路上で花を売るのではなく花屋を経営するために、自分よりも上の階層の言葉を学びたいという理由で、ヒギンズ教授の英語のレッスンを受けることになります。その内容は...ガラス玉を口に入れて、話し方の矯正を行なうことなどでした。 “have”(ハヴ)を「アヴ」と発音したり、”rain”(レイン)を「ライン」と発音したり、”cup”(カップ)の詰まる音を発音できるようにするなど訛りをなおす必要があります。
 さて、その結果、最終的に、”The rain in Spain stays mainly in the plain.”という文章を話せるようになりました。ちなみに、映画版ではこんな感じになっています。

 現代の日本人の英語学習者ではわかりづらい感覚ですが、rainやSpainやplainなどの発音が非常に困難だったもよう。

 その後、アスコット競馬場(貴族の社交場の一つ)に進出することになります。ヒギンズ教授の母親(貴族)やピカリング大佐の協力も得ます。この時点では、話せることが天気のことだけだったという状況で、途中でもともとの言い回しが出るなどボロが出るという事態にまでなりました。例えば、誰かがなくなるという話で”do one’s in”で「○○が亡くなる(の俗語)」や、pinch(くすねるという意味)など、貴族の間ではあまり使われないと思われる俗語のフレーズがでてしまったという次第で。
 その後、さらに半年、訓練を積み、王族なども出席する舞踏会に出席します。そこには、ヒギンズ教授の弟子の音声学者で、成り上がったものの素性を言語で暴いて恐喝するというのが出てきますが、結果的にイライザの話し方はこの時点では素性がバレないレベルになっており、見事返り討ちにします。
 その後、ヒギンズ教授が実は自分のことをモルモットとしか見ていなかったことを知り、激怒して、ヒギンズ教授の家を飛び出しますが、最終的には和解するというところでこの物語は終わります。

(3-3)この作品に関して興味深い点
(3-2)のあらすじでは触れていませんでしたが、実は他にもいろいろと面白い場面があったりします。イライザがヒギンズ教授のところに英語を学びに行ったことを嫁に行ったことだと思ったイライザの父親が金をせびりにきたり・・・。ちなみに、道中受かれているシーンがこちらになります。

最終的に、ヒギンズ教授が(勝手に)ある基金に推薦した結果、イライザの父親が金持ちになったりと・・・いろいろとあります。後、お風呂というものを入ったことがない(この時代風呂は高級だった)ので、風呂に入れようとしたら、拒絶反応を示すなど…いろいろな描写があります。

ただ、このミュージカルは映画版で最初見たのですが、いろいろと不自然な点がありました。そもそも、なんでヒギンズ教授はコペントガーデンにいたのか?などやイライザがヒギンズ教授と出会った時に、”I am a good girl.”(これも実際のところどう訳すべきかも謎でした。)というセリフを言うなど実はいくつか謎があります。

偶然、冒頭で述べた高校のミュージカル部でこの作品が公演されていたので見に行ったところ、映画にはない描写がありました。

実は最初に、ヒギンズ教授が母親とその親戚のフレディーとその妹がいて、フレディーがタクシー(この頃だと馬車)を捕まえに行っている間に、手帳を片手にコペントガーデン近くで、言語を書き留めていたところ、イライザが不審に思って話しかけたというシーンがあったりと。明らかに、映画版を見ただけではわからないシーンが多くありました。

そこで、調べたところ、原作の小説があるということで、さっそく探して読んで見ました。それは「ピグマリオン」(ジョージ・バーナード・ショー作)です。

この作品は、実はその当時の社会への痛烈な風刺の側面があります。

どうやら、ヒギンズ教授はタクシーを待っている間、言語の研究ということで、コペントガーデン付近の界隈を耳にしていたらしく、それで、周囲の

小説版の脚注によると、この時代、売春婦などを取り締まるために、私服警官が話を手帳に書き留めていたことがあったという。ちなみに、この場合、”I am a good girl.”は「私は身持ちのいい女」(娼婦ではない)という意味で用いられていたということになります。

また、実はイライザは本来、かなりポテンシャルのある人物であることが小説版ではわかります。なぜなら、小説版では、ピカリング大佐から、上流階級の教養として、音楽や絵画などを教わっています。その際に、音符を見て、聞いただけで、ピアノが弾けるようになるなど、かなり高度な音感を持っているなどの描写がありました。

そして、ミュージカルにはないシーンで、ヒギンズ教授の母親がピカリング大佐とヒギンズ教授に向かって「レディにするのはいいけど、その後、イライザをどうするの?上流階級の教養は職には結びつかないのよ」というセリフを言い放つシーンがあったりと、実は、ヒギンズ教授の母親と二人の間で、明らかに考え方が大きく異なっているような描写があったりします。

元々、花屋を持ちたいという理由でイライザは英語を教わりにきたわけですし。舞踏会の後のヒギンズとバトル際も「自分はあなたの召使ではない」という言ったり、逆に「その喋り方を治したら?」(映画版を見ても分かるけど、実はかなりヒギンズ教授自体も訛りがある。)というシーンからも、映画版とは違った印象があります。

特に独立心があるという。また、舞踏会の後、イライザがショックを受けるシーンがありますが、その原因は、自分の英語が、周りの貴族たちの英語に比べて、レベルが高すぎて…違和感を覚えたりと。(どっちのレベルが高いかは明言されていないけど、貴族相手でも、言語や教養に疑問視をするレベルまで到達してしまったもよう) 

ちなみに、映画版やミュージカルでもフレディーはアスコット競馬場のシーン以降にでており、最終的にイライザと恋仲になりそうなシーンはありますが…描写が全くないという、「かませ」のような扱いになっていました。その一方、原作小説では、夫婦になり、花屋を経営することになります。その際に、ヒギンズ教授に、文字の書き方を教わりに行きますが…あまりにも高度な文章ばかりを教わったために…これまた、花屋として、齟齬が生じるような状況になるという…ある意味コメディなシーンが後日談に出てきます。

 こういった感じで、ヴィクトリア朝時代の社会をコミカルに、批判する作品が実は原作小説だったという話。
 このように、ただのサクセスストーリーという話ではなく、ミュージカルの細部を見たり、原作小説を読むと、印象がガラッと変わるという意味で非常にストーリーとしても興味深い話です。

(3-4) お気に入りの音楽
 My fair ladyの劇中の音楽で良かったのは、”I could have danced all night.”です。言語の一部ですが、マスターすることができた時の喜びが伝わってくるだけでなく、いろいろと壮大な曲で、この曲です。

また、仮定法…(日本の高校の英語では助動詞の用法として習うが)の存在を知るきっかけになった曲です。後は、”With a little bit of luck”という曲も愉快な曲だったとこんなところです。

こんな感じです。一度、この作品を見てみることをお勧めしたいと思います。

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