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人が人を思う気持ち

その日私は東京にいた。

今回は子との定期面会ではなくて前日にあった仲間からの連絡を受けて電車で向かう。
正直なところ真夜中に働いている私は明けの疲れた体を引きずって上京するのは多少抵抗があった。
しかし今回は向かわないわけにはいかない理由があったのである。
私は10年くらい前まで舞台制作をしていて沢山の人に世話になった。座長として多くの演者やスタッフ、お客さん、私を支えてくれた方々…などなど。何百人もいる。
その中の一人に上記のカテゴリ全て満たす女性がいた。
その女性が不治の病で死の床についているというのである…。

という訳だが随分と急である。なにせ夜に入った連絡で翌日の夕方に病院に集合との段取り。上記の通り夜中に働いている私は悩んだが、

必ず行く!

と返信。
常日頃から義理を重んじている私である。しかも今回は特別に世話になった人。当然の返信といえよう。

t女史は女性ながら首都圏で複数軒の飲食店を経営する敏腕経営者でもありながら私の劇団に参加して尽力したり芸能事務所と個人契約したり殺陣(たて)の習い事をしたりとアクティブに活動をしている人。
今回の連絡は殺陣の同期で、やはり制作時代の演者からの連絡であった。

仲間と合流した私はでかい大学病院に訪問。病室に入ると見舞客と何事か話をする彼女の声が聞こえてくる…。
死の床と聞いていた私は少し安心した。なんにせよ話をする事が出来るわけだ。
しかし見舞客との話を聞いていて驚いた。彼女は明るく快活に話しているが自死が前提である。
従業員との会話だろう。

私が亡き後の店を〜、

相続税は分かりやすくノートにまとめたから参考に〜、、

飼っていた猫の扱いは〜、、、


自身亡き後の店の存続や従業員に対する保証、一人一人に対する感謝や配慮…。

改めて私は彼女の胆力の深さや人間的な度量を垣間見た気がした。
彼女は夢中で先の見舞客と話し込んでいるので気を遣って挨拶だけして帰ろうとしたが…、

t女史
「ペイ郎くん!待って、帰らないで。こっちに来て!!」

気遣いの彼女はひたすらに話し込んでいても新たな訪問客を無碍(むげ)に帰す様な事はしない。
私は正直なところ弱った彼女をみるのは辛かったのと掛ける言葉を思い付かないので何も言わずに失礼したかったのだがそうはいかない。
私達は彼女のベッドを取り囲む様に座った。

8年ぶりに会った彼女は病気の影響だろうか?頭髪を坊主頭にしていてベッドから起き上がれない様子である。
3ヶ月前には元気に殺陣の稽古に出ていたそうだが今は胃瘻(いろう)で口から食事は取れない身体…。唾液を飲み込む事も難しい様で唾液を吸い込む機械を終始使用している。残酷なものだ。

私が座ると同時に彼女は夢中で話しまくる。
舞台制作時代の事や自身の病気の事、私との過去の思い出…、
私も仲間も返事が思い付かずただただ頷(うなず)くばかり。

私の頭を、ある言葉がよぎる。。

まことに死せんときは、予てたのみおきつる妻子も財宝も、わが身には一つも相添うことあるべからず。されば死出の山路のすえ、三途の大河をば、唯一人こそ行きなんずれ

※病にかかれば妻子が介抱してくれよう。財産さえあれば、衣食住の心配は要らぬだろうと、日頃、あてちからにしている妻子や財宝も、いざ死ぬときには何ひとつ頼りになるものはない。一切の装飾は剥ぎ取られ、独り行く死出の旅路は丸裸、一体、どこへゆくのだろうか。

「歎異抄(タンニショウ)」より 親鸞聖人

彼女は自身の死が前提の話ばかりするので分かりにくいが強く生きたがっている。
病魔に侵され前途が絶たれようとしているが生を渇望している。
それが溢れ出る言葉になって現れているのだ。

私は言いました。

私「t女史。死が前提のお話ばかりですが、もう諦めてしまったのですか?およしなさいよ。貴女らしくない。未来の事はまだ分からないじゃないですか。仮に死ぬとしても気概を失わないで下さい。死んでたまるかっ!て気概をね。」

彼女はニッコリ笑って言いました。

t女史
「うん。もちろん諦めたりなんかしないわ。」

私「良かった。それを聞いて安心しましたよ。」

人気者の彼女の病室には後ろからも見舞客がたくさん来ている。いつまでも話してはいられない。
わたしと仲間達は彼女と固い握手をして足早に病室を後にした。



生きる素晴らしさと必ずやって来る死。改めて考えさせられる。
死が不可避ならば生き方が重要になってくるだろうか?人生や幸せとはなんだろう?私の臨終には何を思うだろうか。

いずれにせよt女史には逆転回復を祈りたい。病魔になんか負けるな。

ではまた👋。

久しぶりに再開した仲間達。

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