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やさしさは辛いときも【#創作エッセイ #やさしさに救われて】
昔から、一人でいることの方が自分にとってメリットが大きいと考えていた。
一人のほうが集中できるし、一人の方が失敗しても恥ずかしくない。要するに、ローリスクローリターンを好んでいたのだ。
高校を卒業して進学するときに一人暮らしを始めた。
私にとっての一人暮らしは、今思い返してみてもとても充実していたと思う。自由に過ごし、好きなことをしていた。誰からも注意されることなく。
社会人になってからも一人暮らしは続けていた。
ただ、学生時代とは違い、社会人の厳しさを味わう日々を過ごしていた。
接客業であったため、お客さんや上司からの厳しい言葉。慣れない仕事でのミス。年の離れた人たちとの人間関係。それら全てが心の闇を育て、心身ともに悲鳴をあげそうになったことがある。
元々メンタルは強い方だと自覚していた。感情はあまり表には出さず、イライラしたことがあっても、自分の中で消化して解決するようにしていた。いわゆるガス抜きは、学生のころから培われていると勝手に思い込んでいた。
しかし、社会人生活は私の想像以上だった。今まで見てきて想像してきた社会はあまりにも狭いことを実感する。
例えば、「自分がこんなにも仕事ができないのか」とか、「こんな性格の悪い人間が世の中にはいるのか」とか。知らないことが多すぎる自分にも嫌気が差していた。
そして私は「今は仕方ない」と耐えることしかできなくなっていた。
結局のところ、私は悲鳴をあげずには済んだ。それはある人たちのおかげだった。
当時の職場には私たち正社員の他にパートやアルバイトの人たちも一緒に働いていた。
私が正社員であったため立場としては上だが、仕事としての歴は何年も働いているパートの人たちのほうが長い。そのため、仕事は早いし教わることがほとんど。年齢も親子ほどの離れている人も多かったため、勝手に親子関係のような仲になっていたような気がする。
直属の上司でもある正社員の人は、その場の責任者でもあるから指導も厳しく、ミスをした際の叱責もきつかった。そんな時に優しくフォローしてくれたパートのおばちゃんたちは、今でも覚えている。
休憩時間は、直接関わることが少ないおばちゃんたちからも声をかけてもらい。他愛もない話で盛り上がったこともあった。
そういえば、何でもない日にお菓子をくれたり、帰って食べなとお土産をいただいたりしたこともあった。
あれから数年は経っているが、その時のことは今でも覚えている。
正直、新人だから、心配してくれているということは理解できる。ただ、その「やさしさ」が逆に辛かった。自分が情けないと思い、上手くいかなくて当たり前なのに、かけられる「やさしさ」が傷口に塩を塗っているような感覚だった。
しかし、仕事を始めて数ヶ月だったころ、私の考えが少しずつ変わっていた。
仕事に慣れてきたということもあるが、おばちゃんたちとの会話も積極的にできるようになり、「やさしさ」を「やさしさ」と感じなくなっていたのだ。
振り返ってみると、相手側に「やさしさ」があったかどうか。それは正直関係ないのかもしれない。
単にコミュニケーションのひとつとしての声がけ。ちょっとした気まぐれ。ただの話好き。無意識のうちの行動が、受け取る側からしたら、それが救いの手だったというような偶然が起きていたというだけなのかもしれない。
それでもそれが、なによりも心の支えになっていたのだろう。
「やさしさ」という言葉には、思いやりがあるとか心温かいとかの意味があるらしいけれど、正直言葉で表現するのは難しい感情が当時の私の中にあったような気がする。
人は一人では生きていけない。
一人暮らしや社会人を経験してよくわかった。
直接的ではなくても、間接的に人は誰かに支えられ支えている。当然、その逆もしかり。
人と人とを繋ぐ糸があるなら、それはきっと「やさしさ」が紡いでいて、束になることで大きな支えになる。
でもそれは、ハサミのような凶器をつかってしまえば簡単に切れて壊れてしまう。
「やさしさ」さえも、使い方や捉え方を間違えれば、凶器に変わるかもしれない。
そうならないために、「やさしさ」の押し売りはしない。
あの時救われた「やさしさ」は、田舎の故郷にあった無人販売所のような感じだった。人々の善意で与え、自分が都合の良いときだけ受け取ることができれば、間違った「やさしさ」にはならないと思う。
私にはまだ、難しいかもしれない。