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白い女の人


 俺は、視える人らしい。
 というのが分かったのは、つい最近のことだ。港でコンテナの運搬や搬出作業をしている俺は休憩時間、海が見える二階の食堂で昼食をとっていた。そこに先輩がやって来て談笑をしていたのだが、ふと見やった先に白い人が座り込んでいたことに気がついた。髪の長い女の人のように見えて、コンテナだらけのここから海でも眺めてるんすかねと言ってみたら「お前も視える人間か」と言われて判明したのだ。
 聞いてみたところ、時々あの港に人がいるという話は出るのだが、先輩はそこには何も見えないし誰もいないとのことだった。でも確かにあそこにいるのに、ともう一度見てみた時にはもうあの白い女の人はいなくなっていて、内心焦った。
「今まで幽霊を見たことは?」
「いやいや、ないっすよ、そんなことは」
「半分くらいの奴らが、そこにいる女の人を見てから視えるようになったって言い出すんだ。最初は俺も信じてなかったけどさ、みんな言う人は言うし、昔からそういう話はあったみたいだから、そうなんだろなって」
 そう言いながらも、視えない先輩からしたら半信半疑って感じの顔で、まぁほどほどにしろよと俺に肩を叩いて席を立った。俺はもう二度目、港へ視線を戻してみたがやはり女の人はいなかった。俺も、その時は信じていなかったのだ。
 ただ、日々経っていくにつれ、余計気になってしまって。食堂の窓から見るとやはり女の人はある一定の時間だけそこにいた。ついでに周りから話を聞いてみると、視える人とも会話することが増えた。そしてみんな口々に同じことを言った。
「害はなさそうなんだか、なんだか気味が悪くて窓側の席は避けているんだ」
 と。
 確かに、お昼休憩になるといつも混んでいる食堂も、ぽつりぽつりと窓側の席は空きがちだった。
 俺もなんとなく不気味に感じて、食堂の窓側には座らないようにしていた。仕事中も、どうしても近くを通らなくては行けない時も、それこそ「視えない人」が引き受けてくれたのが良かった。この職場では、視える人と視えない人が一緒に働くのは当たり前のことのようである。
 それからは白い人は見なくなったが、ある休みの日、忘れ物を取りに事務所へ向かっている時、急に幽霊の話を思い出したのだ。この時は休みだったのもあって気持ちが憂鬱だったのだろう。思考が正常じゃなかったのかもしれない。それとも、好奇心だったのか。
 事務所を出て食堂へ向かう道を歩く。誰もいないから静かだった。本来なら食堂へ左に曲がるところをそのまま真っ直ぐに行くと、二階にある食堂の窓から見下ろすだけだったあの港へ出る。
 いつもあの白い人を見掛けた時間より少し早いかなと思ったが、港には、やはりその女の人がいた。
 女の人は海の方を向いたままうずくまっていて、その光景はあまりにも奇妙に見えた。だが俺の足は不思議と女の人に引き寄せられるように歩いていて、気付いたら声を掛けていたのだ。
「あの、海見えますか」
 最初の声掛けが海見えますかとはどういうことなのか。俺は内心自分にツッコミを入れながら、こちらを振り向いた女の人を用心深く観察してみた。
 白い肌に、大きな瞳が見えた。白いワンピースがますますその人を儚げにし、そして不気味に仕立てるには充分なものだった。立ち上がった女の人は俺よりは低い背丈だったが、成人しているように見えた。
「見ているのは、海ではないのですよ」
 うっすらと桃色を差した唇だけが動くのも、妙に不気味ではあった。だけど聞こえてくる声は美しく可愛らしいもので、生前はモテたんだろなとか勝手に思った。
「じゃあ、何を見ていたんですか?」
 聞いてはいけないと思いながらも、俺はついそう聞いてしまっていた。女性は俯いてただこれだけ答えた。
「海の底を見ているのです」
「え」
 そう言われた瞬間、海からゴボゴボと音が聞こえて俺は後ずさりをした。そして次には真っ黒な影が這い上がって来て、俺はそれがなんなのか分からないまま尻もちをついてしまった。
「早く逃げて!」
「えっ」
 ぐいっと後ろから何かに引っ張られた。普通なら、目の前にいる女性に引っ張られたと思うのだが、女の人は俺の後ろにはいない。俺は何かに引っ張られるまま走り出し、食堂の横を駆け抜けた。
 何かに引っ張られる感覚がなくなっても俺は走り続け、ようやく駐車場に停めた自分の車の前まで来て振り返った。
 いつも通りの景色で、誰もいない駐車場はやけに静かだった。俺はようやく、ここで深呼吸をした。
 その後、俺は何事もなく帰宅したが、あの日見た影の存在が恐ろしく、港湾作業員を辞めることにした。
 辞める前日、食堂に行かないように自分で雑に作った弁当を職場の隅で食べていたら、先輩が声を掛けてきた。俺に「視える」ことを教えてくれたあの先輩だ。
「辞めるんだってな、ここ」
「はい。お世話になりました」
「いやいや、世話なんてしてねぇよ」それから先輩は眉をひそめてこう話し続けた。「……お前も、アレ見たのか?」
「え」
「みんなアレ視たやつから辞めて行くんだよ。俺は見たことないんだけどさ」
「女の人以外に、何かがいたんです」
 あの黒い影の話は誰にも言ってはいなかったが、先輩だけには言って置こうと思って。
「ああ、女の人ね。実はあの女の幽霊は、善意の幽霊なんだって」
「そうなんですか?」
「海に落ちた夫が暴れ出さないようにあそこで見守っているんだと。相当生きたかったんだろな、夫は。だから逆恨みで生きてる人を海に引きずり込もうとするんだってよ」
「そうだったんですか……」
 確かに、それが本当だったら俺が見てきたものに辻褄が合う気がした。だけどちょっと待て。
「先輩は、なんでその話を知っているんですか?」
「前にいた先輩に聞いたんだよ。お祓いしようとしたみたいでさ」
「……そうなんですか」
 俺は自分の少ない荷物を持って港湾作業員を辞めた。あれから一ヶ月経っているが、あの港と女の人がどうなったのか、今となっては、俺は分からない。

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