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【セカコイ考察】真織の私服の変化から考える気持ちの変化


セカコイ、いい映画だったな。(第一声)


さて、透と休日デートをする際の真織の私服の変化は、真織の透へ対する気持ちの変化…というか恋心の蓄積を表しているのだろうなぁと感じたので、それを考察していきたい。

映画を一度視聴しただけで、原作は読んでおらず、YouTubeやTikTokなどに投稿されている映画の特典映像もきちんと見ることができていないので、理解不足があれば申し訳ない。



以下ネタバレ含みます。ご注意ください。



はじめに、
初デートの海辺ピクニックの時の服装はシンプルな水色のワンピース。

公式YouTubeより引用

この日の朝の真織は、デート服を泉に電話で相談していたが、選択肢は①水色のワンピースか②赤いブラウスとデニムスカートの2択だった。
そして選ばれたのは水色のワンピース。


そのあと数回のデート(ダイジェストてきに流されていたけど)も、全て、水色のワンピース。


ここまでは、真織に透に対する恋心がないのが分かるようになっている。
”デートの服装”なので多少は悩む(泉への電話)けど、とはいえ擬似デートなのであまり服装へ頓着がない。前回何を着たかの記録もしてないだろうから、いつも身支度中に悩んだ結果が、シンプルな水色のワンピースになってしまうのだろう。
そして服装同様、ここではまだ気持ちもシンプル。


次のサイクリングデートでは、初めて選択肢②の赤いブラウスとデニムスカートを着る。

公式YouTubeより引用

この日は、「明日の日野も、僕が楽しませてあげるよ」と透から言葉を掛けられドキッとする場面があった。
恋心もひとつ積もった場面でもあったと思う。
水色のワンピース以外の服装を初めて着ていくということで気持ちがひとつ進んだことを表しているように思う。
しかも恋心や情熱を象徴する、赤色の服。


その後のデートでは、順不同だが、真織の服装が多種多様になる。
横浜ソフトクリーム(落としちゃった)デートでは、黄緑色の豹柄?シャツ。

公式YouTubeより引用


水族館デートや神社大吉デートでは、赤いタイトニットと花柄のスカート。

公式YouTubeより引用


スワンボートデートや髪飾りを買ってもらったデートでは、袖にフリルがついた黒のギンガムチェック柄ノースリーブシャツ。

公式YouTubeより引用

柄物、色物、フリル、、、、これはもう完全に恋してる女の子だろう。
初めの方のデートでは選択肢に無かったような服の数々が登場する。
そのどれもがとびっきり可愛らしいもの。
シンプルな単色やデザインではない。
複雑な柄やカラフルな色は、真織の心の中の様々な気持ちを表しているのではないだろうか。
そして、めいっぱいお洒落をして好きな人に可愛く見られたい恋する女の子を服装からも表しているのではないだろうか。可愛すぎる。

「新しく下ろしたのかな、買ったのかな。(潜在的にだが)恋をしてからは、デートごとに服装を記録し始めたのかもしれないな。それとも無意識のうちに新しい服を買いに行ったのかもしれないな。」などと映画にかかれていない部分を私はつい妄想してしまった。


そして、気持ちが重なった花火大会デートでは、浴衣を着ている。

公式Instagramより引用

浴衣って、自分を可愛く美しくみせるための象徴的な服装だと個人的には思う。

浴衣の柄は梅。梅には『忍耐力』『澄んだ心』などの意味がある。
記憶が無くなる毎日だとしても、友人や人前では笑顔でい続け、誰のことも責めたりはしない、そんな真織の性格にピッタリな浴衣だ。


透からのプレゼントである髪飾りにも注目したい。

公式Instagramより引用

透からのプレゼントの髪飾りは、葉の形からして恐らくデイジーを模したものだろう。
デイジーには『希望』という花言葉がある。
セカコイ公式Instagramに載っている、髪飾りの写真の投稿文には「透くんは私の毎日に一筋の希望を与えてくれる。」とある。
なので、この髪飾りは、透から与えられた希望=プレゼントされたデイジーという意味で間違いはなさそうだ。
その髪飾りを、花火大会で初めて付けるのだ。


徐々に、徐々に、映画が進んでいくごとに、服装の変化があり、それは真織の感情の変化を表していると私は考察する。


以上が、私が覚えているかぎりの真織の私服と、それに対する考察のようなものである。



そして以下はこの考察をしてみてからの感想。

『気持ち』もある種は手続き記憶なのだろうと思った。

自転車の乗り方や絵の描き方を記憶がなくなっても体が覚えているように、景色を見て綺麗だと感じたことや好きな人にドキッとしたことは心のどこかで覚えているものなのだろう。

もしもこの物語が現実に起こったとしても、真織の服は日を追う事に変化していったと思う。
恋心が少しずつ募り、少しでも好きな人に可愛いと思われたくてちょっとずつお洒落をしていったと思う。

記憶を忘れてしまうというのは、脳に障害が起きた真織に限った話ではない。
正常な脳みそを持った私だって、色んなことをすぐに忘れてしまう。
宮崎駿監督のジブリ映画『千と千尋の神隠し』の劇中で銭婆が話す言葉で
「一度あったことは忘れないものさ…思い出せないだけで。」
というものがあるが、記憶の無くならない私たちにおいては、忘れてしまうとはこういったことだろう。

しかし、『気持ち』は、真織も、私たちも、心のどこかに残っていく。
それは毎日少しずつ蓄積される。
真織はそれが潜在的に恋へと変わっていった。

私たちには記憶が残ってしまうため、気持ちの蓄積(手続き記憶)にはなかなか気が付きづらい。
だが、私たちの中にも今まで感じた気持ちは確実に残っていっているのだ。
それがプラスのことばかりでは無いだろう。悲しかった、辛かった、などのマイナスな気持ちも蓄積はされる。
だけどそれら全ては私を作り上げるものなのだ。
そう思うとそれら全てが私は愛しいと思える。

私たちは日々起きたことが記憶にも残る。
気持ちにも残る。

だから、精一杯毎日を噛み締めて生きていかなければならない。
できれば楽しいことや嬉しいことでいっぱいになるといいな。

この映画を見て改めて私は思った。

大切な人…それが恋人でも友達でも家族でも、目の前にその人がいるかぎり毎日全力で愛していきたい。


そんなちょっと重めの感情を記述したところで、このまとめのような考察のような感想のような文章は締めくくらせていただきたい。
とはいえ、昨日映画を見たばかりで、まだ自分の考えが散り散りなので、いつかしれ〜っと編集したいかな。感想あたりとか特に。


ここまで読んでくれてありがとうございます。

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