軽井沢旅行記
自然には人の思考を解く力があると思う。
軽井沢の駅に降り立った時、静かに聳える山の雄大さに、自然と心を開かされるような感覚があった。
瞬間、何もかもを忘れた。それまで胸に抱いていた、希望や絶望や怒りや孤独の、何もかもを。
ひとの勧めで、タリアセンという施設に赴いた。広大な敷地のなかに美術館やレストランなどが設けられていて、公式サイトには”総合的リゾート施設”と記されている。
湖のそばに建てられた睡鳩荘は、ジブリ作品『思い出のマーニー』を彷彿とさせることで有名らしい。もとは旧軽井沢の別荘だったそうだが、現在はタリアセン内に移築され、人気の観光地となっている。
睡鳩荘は、実業家の朝吹常吉と、その娘である仏文学者の朝吹登水子が別荘として過ごした建物だ(記事内敬称略)。朝吹登水子はサルトル、ボーヴォワールとの親交があり、ボーヴォワールの著書の翻訳などもしていることを知った。彼女の書籍を地元の図書館で予約した。帰ってからの土産ができた。旅の出会いはいつも突然だ。
旅中の出会いといえば、立原道造の詩と出会えたことが、わたしにとっての大きな出来事だった。彼の建築物に触れたことはあったが、言葉とのであいはそれが初めてだった。軽井沢の地に親しい詩人・建築家として、立原道造を特集した雑誌が睡鳩荘にいくつか置かれていたので、二冊入手した。湖のほとりで読み耽った。久しぶりに文学に向き合えた時間だった。
清らかな風が前髪をさらう、ページを繰る。陽光があたたかく世界を包んでいる。遠くに蝉の声が聴こえる。ボートのオールが鈍く重く、水を掻く音がする。親子の笑い声。湖からのぞく大きな鯉の顔。滑らかに水面を移動する鴨の群れ。
穏やかさに情緒が浮遊する。楽園が存在するのなら、きっとこんな景色なのだろうと思う。
立原道造の詩を一遍、ここに抜粋する。
なんて哀しい……けれど、そこに広がる景色はとても静かで、平穏として、安らいでいるようにみえる。夢との別離は、悲しさとともに安心をもたらす。夢のかえる場所が、本当の楽園なのかもしれない。
立原道造についての書物を読み進めていると、追分、という地名がたびたび登場する。信濃追分のことなのだが、わたしはふと、江國香織の「りんご追分」という短編を思い出していた。小説の内容は思い出せないのだが、何故かその題名が頭から離れなかった。帰宅してから『泳ぐのに、安全でも適切でもありません』という短編集のなかを必死に探ると、それは美空ひばりの曲だということが分かった(以前もきっと調べたのだ、そして忘れたのだ)。これもまた、惜別の詩だった。
出会いは別れをはらんでいる。人は忘れていく。それでも忘れられたあとに行き着く先が、夢のような楽園だったらいい。そしてまた思い出したら、何度でも再会できるといい。
今日は本当にひさしぶりに心を解放して、自分の内と対話をするような時間を過ごすことができた。また、あの景色と巡り会えるように、日々を精一杯、生きていこうと思う。
追記:この日のvlogを公開したので、よかったらみにきてください。
https://youtu.be/rX_oaXsXm28?si=iLrhSvQABqHqSHj3