旧市街
ウンベルト・サーバ(1883-1957)
しばしば、うちに帰るにあたって
わたしは旧市街の薄暗い通りを選ぶ。
水たまりには街灯が
黄色く映り、道はごったがえしている。
ほら飲み屋から自宅へ、それか風俗へ
往来する人々、
ここでは商品も人間も
巨大な港のごみくずで、
あいだを進みながらわたしは見つけた
卑しさにある果てしなさを。
ほら嬢と船乗り、罵るはおやじ
口答えするは女、
揚げ物屋にどっかと座る
怪物のような男、
恋に浮かされたやかましい
少女、
みんな命ある生き物だ
痛ましい生き物だ……
わたしにするのと同じく、神は彼らを振り回す。
ほら卑しい人々と一緒にいると
わたしの思考は純粋になっていく
ここではより汚くなることが生きる道なのだ。
*
サーバは同時代のダンヌンツィオやパスコリと比較して伝統的な詩風を固持し、レトリックや韻律、言葉の選択がシンプルである。この詩は処女詩集を上梓した1910年ごろに書かれた。内容面に関しては、描かれている情景や表現されているポエジー(詩情)ともに、旧世代の男性詩人にありきたりなものである。例えば第2連の3、4行目の「港のごみくず」という比喩は、日本語の「吹き溜まり」という言葉に対応する(すぐれた比喩こそ、誰もが使うことのできる言葉として定着する=死んだ比喩となる、という見方もできるが)。僕からすると、特筆したものは見受けられない。
形式面では、第2連から第4連の一行目はすべて「Qui」から始まる。「ここ」という意味だが、臨場感を出すためにあえて「ほら」と訳してみた。また、第1連の2行目に「via(通り)」という語が登場し、詩全体の最終行、最後の語も「via(方法)」で終わっている。これが意図的な選択なのかは判断が難しい(別にうまくもなんともないから)が、今回は「方法」ではなく「生きる道」と大げさに訳出した。ちなみに英訳では、前者は「alley(路地)」という語に置き換わっている。
一番頭を悩ませるのが第3連3行目の「dragone」という単語で、ドラゴンのこと。英訳では「soldier(兵士)」になっている。日本語では須賀敦子の翻訳詩集が出ているが、こちらからは参照することができない。果たしてどう訳されているのか、気になる。