公明党と創価学会の過去と未来
池田大作創価学会名誉会長が死去した。急なことだったので、現段階で書けることを書いておきたい。
➀重要なのは、今後の政治的な影響だろうから、それについて、まず書いてしまおう。
すぐには影響は出ない。創価学会は世襲の組織ではなく、会長は池田氏の子供ではないので、組織は当面、そのまま維持されるだろう。ただ公明党の路線に不満を持つ人は多いとのことなので、公明党支持に拘らない分派が生じる可能性はある。
また池田名誉会長への思いから信者を続けていた人も多く、これを機に脱会する人達もいるに違いない。池田氏がいなくなった状態では選挙の応援に力が入らないという信者もいると思われ、選挙への何らかの影響は避けられないと思われる。
②略史
(1)1950年代〜1960年代
1950年代に創価学会が議員を誕生させた頃、池田氏は中道左派路線を自称していた。創価学会の青年達は60年安保闘争にも参加、大学では政治学の教授を批判するような言論もしていた。
政治学者は公明党には批判的で、池田氏はディスインテリだから何をするか、わからないから警戒しないといけないなどと言っていた。
政治学者の藤原弘達の著作に対する出版妨害事件を起こし、それを田中角栄が庇ったとされる件で、自民党田中派と関係ができた。小沢一郎も、田中派時代に、公明党との良好な関係の基礎を築いたと推定される。これが後の細川連立政権につながった。
(2)1970年代
創共協定
池田会長と共産党の宮本委員長との会談で協力する趣旨で合意。左傾化したと言われた。
(3)1980年代
社会党や民社党と社公民路線を採り、社会党に共産党ではなく、公明党と協力するように要求した。
(4)1990年代
1990年代は宗教の脱構築の時代と言われ、オウム真理教事件や、創価学会が重要な支持基盤となった新進党の結党があった。当時の自民党と社会党の連立政権は、創価学会と公明党との関係を問題にするようになり、池田名誉会長は国会で証人喚問までされた。これに懲りた創価学会は自民党との連立に走り、小渕政権で連立に参加した。
③2020年代
統一教会への解散請求もあり、再び、宗教の脱構築の時代を迎えたようだ。
これを機に宗教と政治の関係を見直し、宗教団体が土足で踏み入れることがないような政治が行なわれるようにしなければならないと思う。
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