石破首相と親中国
石破首相が習近平国家主席と会談し、日本人の短期ビザ免除措置が再開された。中国は石破内閣を岸田内閣より話ができると見ている。
①石破首相の若い頃
1972年、石破氏が師と仰ぐ田中角栄内閣で、日本と中国の国交が正常化された。その時、石破氏は、まだ15歳だった。
1978年、福田赳夫内閣で日中平和友好条約が締結、その時、石破氏は21歳になっていた。
石破氏が多感な年頃だった時、日中関係の改善が進んだわけである。中国寄りの政治家は、しばしば利権やハニトラで説明されてしまうが、若い頃の時代の影響もあるに違いない。
➁日中平和友好条約
条約締結後、日中関係は急速に改善されていった。近代日本の歴史で、この時ほど日中関係が良好だった時代はないだろう。当時の世論調査で中国が好きという回答は70%を超えていた。
「日本人の中国好き」という表現はメディアにたびたび登場した。「中国は準同盟国」という主張すら現れた。
また中国の最高指導者だった鄧小平は「北方領土は武力で取返したらどうか?もし必要なら、中国軍を貸す。」とまで発言した。
その頃は中ソ対立の名残りがあり、中国は三国志の国だから、ソ連=魏、日本=呉、蜀=中国と考えていると言われたりした。(中国はまだ経済規模が小さかったので、呉ではなく蜀だった)
中国人の日本研究というシリーズ本が出版され、邦訳も出た。その本には「日本人は自殺と殺人が好きな民族」と書かれていた。また「心中も多い。中国では心中事件など起きない。好きな人と、そんなことをするとは素晴らしい」という記述もあった。
➂田中角栄
1970年代に田中内閣が成立した後、自民党の主流派は田中派やそれの後継派閥となった。その状態は平成初期(1990年代)まで継続したと言える。田中派とその後継は中国寄りだったので、平成初期までは、日中関係はさほど悪化せずに済んだ。
➃日中関係改善?
日中国交正常化を成し遂げた田中角栄を政治の師匠と仰ぐ人物が首相になるのは、久しぶりの状況である。また、外相も「嫌中、嫌韓などと言っていては日本外交は成りたたない」と語っており、中国との関係改善を試みるかもしれない。だが、この内閣に実績をつくれるとは思えない。
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