見出し画像

ショートショートっぽいもの:切らなくなった

彼の自傷癖は有名だった。
いつも手首から見える包帯と、
カッターを持ったときの恍惚とした表情は、
彼が自傷行為をしているという、
この上ない状況証拠であった。

彼は、人に思われているよりも明るかった。
家族仲は良く、長年の友人もいた。
仕事は好きじゃないが、早く帰れることには満足している。

そんな彼の自傷行為は、幼い頃の怪我に由来する。
手のひらに鉛筆が刺さったので、名札の安全ピンを使って取ろうとしたことがある。
先生に見つかってこっぴどく叱られた後、保健室で治療してもらった。
その時に巻かれた包帯の温かさといったら、
それまでの人生で感じたことのない心地よさだった。

彼はその心地よさを再現しようと自傷行為を続けていた。
そんな彼が自傷行為を止めたのは、ある夏の日だった。
彼は普段は長袖で過ごすのだが、その日には珍しく半袖で過ごした。
となると、当然すれ違う人が彼の包帯に巻かれた腕を見る。

周りの視線に気づいた彼は、
遅れて自分の自傷行為が注目を浴びるものだということに気づいた。
今まで彼の周りにいた人たちは、
彼がそういう人だと知っていたから、
わざわざ何かを指摘したりしなかったのだ。
彼はその日のうちに、
包帯とカッターと消毒液を捨てた。

数年後、彼は怪我をして包帯を巻いた。
感じたのは温かみではなく、
布のざらつきだった。


いいなと思ったら応援しよう!