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涙のブルー・トレイン物語

北海道で暮らしていた高校3年の冬、東京の2つの大学を受験するにあたり、試験会場の下見を兼ねたオープンキャンパスに行きました。受験などに関係する欠席は公休扱いになるため、堂々と学校を休んで2泊3日の一人旅です。

2泊と言っても、釧路駅から特急列車で南千歳駅へ行き、寝台列車に乗り換えて東京の上野駅へと向かうまでが1日目。下見を一日で終えて、帰りも同じ経路で上野発の夜行列車に乗り込むのが2日目。宿は取らずに、実にのんびりとした行程です。しかし当時から必ず何かをやらかす私は、何度も大変な目に遭いました。

まず南千歳駅での乗り換えの時、乗車券を買った当該列車がホームに到着したのですが、本当にこの列車で間違いないか不安になり、ホームの前で右往左往していました。運転席から顔を出した車掌さんも不思議な顔をしていましたが、勇気を出して尋ねることが出来ず、やがてドアが閉まり、列車は出発してしまいました。

その日は忘れもしない猛吹雪、極寒のホームに立ち尽くし、旅を諦めて家に帰ろうかと思いましたが、それでは余りにも悲しすぎます。再び窓口へ行き、先ほどの列車に乗りそびれた事を説明、次の寝台列車に空席があり、特別に乗せてもらえる事になりました。

 

そして翌日、大学の下見を終えて帰りの上野駅に向かったですが、予定の発車時刻まで2時間近くあったので、駅のコインロッカーに荷物を預け、東京の下町を散策。そして今度こそは列車に乗りそびれまいと、発車30分前には上野駅に戻りました。ところが…

どれだけ歩いても荷物を預けたコインロッカーの場所が全くわかりません。朧気な記憶を辿って探し回ったのですが、気が付けば同じ場所をぐるぐる歩いている始末。別のコインロッカーの脇に、駅員さんとの連絡用の電話があり、事情を説明。応対してくれた駅員さんがとても懇切丁寧に教えてくれているのは本当によく分かるのですが、駅構内の喧騒もあって説明がよく聞き取れず、私の理解力も乏しかったために、結局コインロッカーの場所はわかりませんでした。申し訳ない気持ちでいっぱいになり、涙目で「ありがとうございました」と何度もお礼を言って電話を切りました…。

その後も駅構内を歩き回るも、荷物を預けたロッカーは見つからず、次第に列車の発車時刻が迫ってきました。発車5分前、私は全てを諦め、ロッカーの鍵を握りしめて列車に乗り込みました。貴重品は身に付けていたので、ロッカーに預けていたのは着替えと歯ブラシくらいでしたが、お気に入りの服が入っていたこともあり、何より自分の不甲斐なさに絶望して、寝台の個室でひとり涙に暮れました。

  

そんな数々の反省を踏まえ、受験本番に際しては列車ではなく飛行機で往来することにしました。そして何故か更なるトラブルに巻き込まれる事になります。次回は「羽田空港の到着ロビーを午前0時に閉め出され、真冬の公園で野宿した話」です。

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