「本性は追い詰められた時に出る!」って…本当?
追い詰められたときにこそ本性が出る!
追い込まれたときに見えるのが、その人の本当の姿だ!
……みたいなハナシ、聞いたことありませんか?
昔はこれに対して「確かにそうかもなぁ…」なんて思っていたこともあったのですが、今はちがいます。
だってさ、『窮鼠猫を噛む』って言葉があるように、追い詰められたときなんて、生物として絶対平常心でいられるはずないし、正常な判断ができるわけないんだよね。
どんな動物だって、生きるか死ぬかの状況に追い込まれたら、いつもの自分ではしない行動をとるもの。
なのに、それを本性だって判断するなんて、あまりにも酷くない?って思うのです。
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ひと昔前、犬との関係性において『アルファ理論』というものが支持されていました。
この理論の元になっていたのは、飼育下のオオカミの行動を観察した研究です。
飼育下のオオカミの群れでは、群れの最上位の個体(α)が資源の優先権を持つことが観察されていました。
そしてその群れは、常にαの座を巡る緊張関係にあり、攻撃行動も見られるような状態。
その様子を観察して、“オオカミの群れでは絶対的な順位関係が存在する” と結論づけたのです。
この研究結果を元に、「オオカミは犬の祖先だから、この理論は犬にも当てはまるはず!」ってことで、犬との暮らしやトレーニングにも、この考え方が取り入れられていたんですね。
でもこれ、だいぶ前に「間違った結果でした」って覆されてる研究なんです。
先ほど紹介した研究結果は 「飼育下のオオカミの群れ」を対象としたものでした。
でもその後、「野性のオオカミの群れ」を観察したところ、全く異なる関係性であることがわかったのです。
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野性のオオカミは本来、家族単位(血縁関係)で群れをなして生きる動物。親と、その子供たちを中心として成り立っています。
特定の個体が一方的に群れを従えるような支配的な関係性ではなくて、(人間でもそうであるように)経験豊富な親が自然と群れを導いたり、状況に応じて若い個体が前に出たりと、場面によって変化します。
そして食餌も、優位個体が独占!なんてことはなく、子オオカミに優先的に与えたりして、支え合いながら生活しているのです。
つまりそこにあるのは〝絶対的な順位関係〟ではなく、〝親子の絆に基づく協力関係〟ということ。
“アルファ理論”のもとになった「オオカミの群れ」は、血縁関係もなく、ランダムに捕獲されたオオカミを寄せ集めて、見知らぬ個体同士を飼育下に置いたものでした。
つまり、親子という血縁関係によって群れをなすオオカミという動物にとっては、不自然極まりない “異常な環境” だったのです。
こんな異常な環境下の、ストレスまみれのオオカミたちを観察して、「これがオオカミの生態です!」って……どう考えてもおかしいですよね。
それは、本来の姿じゃないのです。
本来の姿は、オオカミとして“自然な環境”にいるときに見られるものだから。
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これ、わたしは人間も同じじゃないかなーって思うんです。
今の人間っていろんな意味で、とても自然だとは言えない環境で生きています。
自分に無理をさせながら生きるのが当たり前で、多くのストレスを抱えていたり。自然に触れる機会も減り、意識しなければ体を動かすことも少なかったり。
助けを借りずに一人で生きられるような強さを求められたり。食事の時間ですら食事に向き合うことなく、別の何かに気を取られていたり。
……そんなふうに、人として不自然な環境に置かれた状態で見えるのは、その人の〝本来の姿〟ではないと思うのです。
一般的に “悪い” と判断される状態にある人だって、それは「異常な状況下に置かれた結果」かもしれない。
本来は助け合い、支え合いながら生きる愛情深いオオカミたちでも、異常な状況下では争いが絶えなかったように。
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ヒトを「人間という動物」と考えたとき、自然な生き方ができているかを見直すことって大切だと思うんです。
そこに向き合い、見直していったとき、自分も、相手も、社会も、本来の姿を取り戻すのではないかなって。
だから、自然に生きられない日常を “普通” だなんて甘んじる必要はない。自分にやさしく生きることに罪悪感を覚えなくていい。
自然に生きること、自分にやさしく生きることはきっと、自分も、他者も、世界も幸せにしていくことだと思うから。
「わたしはダメだ…」と否定する前に、まずは自分を〝人として自然な状態〟に近づけてあげられるように、じっくり向き合っていきましょ〜☺️