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現実が、自分の内側の反映なのだとしたら。

望まない現実が目の前にあるとき、それをどうにかしなきゃ!と必死にもがいたりする。

物理的に変えようとしたり、目に見える形で変化させようとしたりして。

それが身を結ぶこともあるとは思うけれど、それよりもまずは、じっくりと自分の内側に向き合う必要があるのだと思う。


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“外側の世界は、自分の内側の反映”という話を、聞いたことがある人は多いのではないでしょうか。

過去のわたしはそれを聞いても、「そんなことあるわけない!」「現実で起きていることは、自分には関係がなく、無秩序に降りかかってきているだけ」って思っていました。

この世界で起こることはただの偶然の積み重ねで、何の関連性もないし、奇跡も救いもない。

出来事に対して成す術はなく、わたしたち人間は、その場その場で、それらに対応していくしかない存在なのだと。


だから、メンタルダウンしたときは絶望したの。わたしにはどうにもできないことだと思っていたから。

「なんでわたしばっかりこんな目に…?」「なんで皆みたいに“普通”に生きられないの?」って、自分の特性や性格を呪いました。


けどね、辛くて苦しくて「もう、このままじゃ生きられない」と、もがいてもがいて、わたしがたどり着いた結論は結局、「自分と向き合う」のが何より大切だということでした。

現実(外側の世界)をどうにかしようと奮闘するのではなくて、「自分自身(内側)と向き合う」。

そして自分を知り、受容する。

結局、ここだったのです。

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「自分と向き合うなんて、時間の無駄!」
「原因は外側にあるのだから、答えを早く見つけ出さないと!!!」

そう思って外側を探し回っていたときは、際限なく現れる相反する意見や結論、知識などに振り回され、混乱していて。

「結局何が正しいの?」「確実な正解はどれなの?」と、外側にあるはずの“たった一つの真実”を探して、出口のない迷路に迷いこんでいました。

終わりのない答え探しのループに疲れ、やっぱり救いなんてないんだ…と絶望してから、紆余曲折あり、結局、自分自身と向き合ったことから、突破口が見えてきた。

(この辺りの試行錯誤については↓こちらを!)

自分自身に対する見方が変わったら、外側の世界も、今までとは違って見えるようになったんです。

置かれている環境が劇的に変わったわけではありませんでした。それでも、奇跡に溢れた、やさしい世界があるんだと思えた。

そして、自然と「わたしはわたしとして、この人生を全うしたい」と思い、選択をするようになりました。


だから、やっぱり、「外側の世界は、自分の内側の反映」ということになるのですよね。

「自分と向き合うなんて、無意味でしょ」
「現実は何も変わらないじゃん」
「そんなことして時間を無駄にするくらいなら、現実的で具体的な方法を探したほうがマシ!」

なんて、過去のわたしは思っていた。

けれど、無意味で、時間の無駄で、遠回りに感じるようなところに、迷路の抜け道があったよ。


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鏡の中の自分を笑わせたいなら、まずは自分が笑えばいい。

どこで読んだのか忘れてしまったのだけど、心に残っている言葉。

鏡の中の自分を笑わせたいとき、鏡を変えようとしたりはしないんですよね。

現実(外側の世界)を変えたいのならば、まずは自分(内側の世界)と向き合おう。

具体的な変化は、まず自分と向き合い、受容した先に見えてくる。

先に自分が笑えば、鏡の中の自分も笑ってくれるのだから。


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