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メキシコ女ひとりたび⑩〜夢が叶った後〜

長く続けてきた連載ですが、
今回が最終回です。
長かった…!

最終回の今回は、メキシコに行って「夢がかなった」あと、
自分がどう変化したか、をふりかえって書いていきたいと思います。

百聞は一見に如かず

まずは、「行ってみないとなにもわかんないヨ!」ということです。
これは良い意味でも、悪い意味でもです。
私が「メキシコに行きます」というと、周りの人は「あんなに危ないところに?!大丈夫?!」と言いました。
心配してくれるきもちもありがたいのですが、
「危険」という情報はどこから生まれたものであるかということを問いたいです。
自分で身をもってメキシコの大変さを学んで、そのうえで言ってくれているの?
それともなんとなくYouTubeで危険っていう情報をみて言っているの?
そのような危険イメージは、私の渡航時にあまりに聞かされたので、自分もそれに縛られ不安になってしまっていましたが、
実際に行ってみると、ほぼ危険なことには巻き込まれず。
「危険だって思っても、実際来てみないとわかんないな」と思い、
食わず嫌いはやめようと思った瞬間でした。

でも同時に、私は最初の「リメンバーミー大好き~~!」状態だと、
あまりに危険を省みずに不用心な状態だったと思うので、
その点については「危なくないって思ってたけど、実際は来てみたら危ないところだった!」となっていたかもしれません。
まあ、よくもわるくも、「行ってみないとわかんない」ので、
危険という情報で自分を遮るのではなく、とにかく行ってみるのがいいかなと個人的には思う次第です。
そして、そのときは実際に行ってみた人の情報を頼りに探してみて、
自分を安全で固めることも大事です(過去の私、きいてる???)
その点では、某ルスさんには大変お世話になりました、、、、、

頼っていい

私語りで恐縮ですが、私は元来人に頼ることが超苦手でした。
自分で済ませることは調べて済ませたい。
人に迷惑をかけないでいたい。
そう思って、なんでも自分で調べて解決してしまう質がありました。
でも、メキシコに行くと、自分の解決しようとする力も役に立たないときがありました。
乗るべきバスがわからず何本もバスを見送ってしまったとき、
お腹をこわしてしまいおかゆをたべたいけど、どこで温めればよいのかわからないとき、
セノーテで泳ぎたいけれど目の前のロッカーの締め方がわからないとき(しかも圏外)、、
自分の力では太刀打ちできないときがたくさんありました。
そのようなときに、助けてくれる人の多いこと。
どこかで書いたように、メキシコ(特にメキシコシティ)では、声をかけられた場合は狙われている可能性があるので、その申し出に甘えることは危険ですが、
自分から話しかけた場合は力になってくれることがほとんどです。
しかも1質問したら10返してくれ、まったく嫌な顔をせず対応してくれました。
掲示されている情報が少なく、また自分の当たり前では通用せず、だからこそ人に聞くしかない。
人に聞いたら優しく答えてくれるという安心感と、聞いてもいいんだという自分の中の気づき。
そのことが帰国後の私を変容させました。

ある日、大学の履修登録で情報をみてもわからないことがありました。
普段なら「もうわかんないからあきらめよ」と思っていたのですが、
そのときばかりは「わかんないから事務の人に相談しよ」と思えたのです。
なんてことない出来事ですが、自分にとってはかなりの衝撃でした。
人に頼ることについて抵抗がなくなり、人に甘えることができるようになったみたいです。

自分にとっての帰る場所

メキシコから帰ってきて一ヶ月経ったある日のことでした。
日々の生活が忙しくもう疲れてしまったとき、
ふと「メキシコに帰りたい」と思いました。

….........ん.........?

帰りたい?行きたい、じゃなくて、帰りたい
その瞬間、私はもうメキシコが自分にとってのホームになっていることに気がつきました。
もう、メキシコは私の帰る場所になっちゃったみたいです。
そして思いました。
いつかまた必ずメキシコに帰ってメキシコの大地に「ただいま」と伝えようと。
Hasta luego.(またね)と言ってくれた人と、その約束を叶えるために

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