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凡人が強豪サッカー部で背番号8をもらうまで(その①)

 今回はあまり思い出したくないような辛い経験も含めて、高校サッカー強豪校の日常と環境についてイメージしやすいように伝えようと思います。

 僕が所属していた高校サッカー部は毎年一回は全国大会に出場し上位に入賞するような学校だった。僕は最終的にトップチームのスタメンに一時的に名を連ねられた程度の者である。僕は中体連出身(同学年16人中で1人だけ)で、入部時は間違いなく学年で1番技術的、戦術的、フィジカル的に劣っていた。

 これは僕がその当時までに努力を怠っていたかと言えばそうではない。周りの選手のレベルが当時の僕にとっては高すぎたのだ。周りの選手のほとんどが強豪クラブチーム(J下部組織や関東リーグ所属)出身なのである。サッカー経験者や保護者の方ならある程度これで入部時の状況は想像できるだろう。もちろんこれは先輩後輩も同様である。よって明らかな心技体での成長がないとスタメンはおろかトップチームのメンバーにすら入れない状況下でのスタートだった。ちなみにトップチームのメンバーに入ってさえいればスポーツ推薦で大学に入れる可能性がかなり高い。

 まぁここまではある程度入部前からわかっていたし、それを乗り越えるぐらいの才能は俺にはあるって本気で思っていた。

 そして高校生活が始まる前から練習が始まった。これが地獄の幕開けだった。練習が始まった、最初のトレーニングのボール回しの開始と同時に自分に存在価値がないと人生ではじめて思った。

 ボール回しで鬼でいることが楽だと思ってしまった、そしてそんなことを思っている自分が何よりも悔しかった。そこにあるのは圧倒的なレベルの違いだった。単純な技術、ミスを本気で恐れずボールを呼び込むメンタルなどサッカーをするための最低限のスキルが完全に損なわれるような周りの雰囲気だった。

 まずは、自分は起こしているパスミスが普通に起こり得るミスだと思っていたが、周りの選手は何が起きてもそんなミスは起きないと考えていた。根本的なミスの基準の違いが最初に越えなければならない壁だった。これに伴って先輩や同級生からの罵倒コメント、まぁ先輩からしたら当然の感想だけど耐え難い言葉がいくつも飛んできた。

 やはり集団と批判的なコメントというのは相性がよく効果が抜群で。ひとたび批判的なコメントが飛び出ると、そういうことを言ってもいい奴って周りに一瞬で浸透してしまう。そして仲間と言っても競争相手であるチームメイトは誰かを踏み台にしてでも自分の評価を上げようと必死であるから、批判の披露会のように多種多様な批判を躊躇なく言ってそれぞれがプレーしやすい環境を作り始めていた。この環境はネットの炎上コメントを面と向かって言われてるようだった。これはかなりトラウマになった。結局この雰囲気は高校2年の夏までは続くことになった。ボールを受けるのが怖かった。

 そしてこの雰囲気の最大の損失は張りぼての信用を失ったことだった。まだお互いに相手の力量を計る前にはある程度のリスペクトがある、そしてそれのおかげで自分の存在価値を示すために頑張ることができると思う。これが張りぼての信用である。しかし、一度身に纏った信用が消えるとそこには何も残らず、サッカー選手からただ少しボールが扱える青年に変化してしまう。つまり、自分の持っているサッカーでのアイデンティティが失われるのだ。

 前提としてサッカーというのはパスやドリブルを駆使してゴール目指すスポーツである。ありきたりだが最も重要なのはチームワークだと思う。つまり仲間同士の信用とコミュニケーションが必要になる。

 このネガティブな雰囲気が1番作用する状況は紅白戦だった。僕の当時のポジションはセンターバックというもので、守備の時は周りと連携してゴールを守り、攻撃のときはパスを供給することによって攻撃を組み立てるという役割があった。

 ここからは僕の見ていた景色で伝えようと思います。

 僕はプレー中にはパスコースは線を引かれているようになんとなく見える、この時にパスの受け手のパスを受ける意思があるとないは線の濃さに違いが出る、線の濃さはパスの成功率を示している。中学のときは周りが僕のことを信用してくれていて、パスの線も濃く何本も見えていた。しかし、高校ではボールを受けても本当に線が一本も見えなかった。

 この状況は周りが僕の実力を必要以上に過小評価していたことに起因すると思う。味方は僕がボールを持つと相手に奪われるものだと思い込んでいて、ボールを受ける意思を示してくれなかった。そして、その雰囲気は相手にも一瞬で伝わるので相手が僕のところを刈りどころだと決めて、鬼の形相でプレッシャーをかけてきた。そして奪われると同時に味方からの「ほらな」と言わんばかりの表情でこっちを睨んでくる。この状況では、僕を除いた味方、相手、そして僕1人というような構図の紅白戦だった。
これらによって周りからの評価がまた下がった。これは負の連鎖で何をしても抜け出せなかった。

 綺麗ごとではサッカーはピッチの中と外では別の関係性が築けるという人がいるが、高校サッカー部ではピッチの中と外に隔たりはないので、学校生活でもところどころで見下されているような発言をいくつも経験した。学校にいる間は逃げ場がなかった。この環境は高校3年になってから少しずつ解消されていったように感じた。

 今でもこの時の経験からか自分を過小評価してしまう癖がついてしまった。

ここまで読むとこれはいじめではないかと思うかもしれないが、これは全くもって世の一般のいじめとは違う。

 世の一般的な部活動では楽しむ、大会で勝ってチームメイトと喜ぶなど部活動自体が目的となっていることが多いと思う、だが全国クラスの一部の部活動では部活動が目的ではなく、卒業後の人生でその競技で成功することが目的となることが多い。つまりプロを目指す実力至上主義の世界なのである。

 このことがよくわかるエピソードがある。入部時のガイダンスでそれぞれの選手が目標を発表しあう機会があった。そこで僕以外全員が卒業後または在学中にプロになると宣言していた。僕は本当はプロをめざしていたが、大学でもサッカーを続けることが目標と言っていた、そして1番最初に発表したので全員の発表が終わってからものすごく恥ずかしかった。

 こんな世界線に「いじめ」など存在せず「イジメ」が存在するのである。

 プロを目指す世界線では目標が異なるもしくはレベルに達してない選手は集団のなかでは異物でしかないので排除するのが最善策なのである。

 欧米やサッカー先進国では育成年代の中でも解雇という制度があるが日本ではない。つまり「イジメ」があることは「イジメ」対象者からしたらサッカー本気で続けるための対価なのである。

 僕の場合は「イジメ」が原動力となっていた。その雰囲気や扱いが悔しくて練習後の自主練でやれることを全てやっていた、すると疲労が3ヶ月くらいで限界を超えてしまって腰椎分離症になってしまった。全治に長くて半年かかると言われた。これもサッカーを続けるための対価でしかなかった。

 当時は練習に参加できないことで高校サッカー生活が終了したと絶望していた。中学のときは勉強をほとんどせずに部活を終えて家に帰るとすぐに着替えて走りにいったり近くの公園にボールだけ持ってトレーニングするほどサッカーにかけていた。サッカーで成功しなければ人生そのものの目標を失うことと同値だった。

 結果的にこの怪我のリハビリでチームのトレーナーの方から色々な身体の動きや正しい筋トレの仕方などを学び、また、同じように怪我している先輩方とコミュニケーションをとるうちに自分のサッカーに対して持っていた評価基準を全国レベルに引き上げることができたと思う。当時の三年生で卒業後にプロになった先輩にしつこくついて回って正しい意識の高さを教えてもらった。これで対価のおまけが少し回収できた。

 この怪我の完治に大体5ヶ月ほどかかり、12月に復帰した、そして1ヶ月しないうちにチームメイトから後ろから足首にカニバサミスライディングを受けて、左足の骨挫傷を起こして一年目が終わった。カニバサミを受けたあとは怪我の痛みとそんなに自分がサッカーから嫌われているのかという思いが重なって結構泣いた。

 一年目でトップチームの試合に絡んだりする同級生がいたりして、常に自分の欲と実力の差をどうやって埋めようかと悩み続けていた。後々感じるのはこの時に怪我で立ち止まって、自分がチームの中でどのような役割をすれば自分が試合に出れるのかを掴めたのが唯一の収穫だった。


自分語りの極みみたい話をこの先人前でしないために溜め込んだものを吐き出しておこうと思いました。

今回は一年生編だったので次回もよろしくお願いします。

読んでくださりありがとうございました。いいねやコメントをしていただけると客観視が得られてこの先に活かせるので、気が向いたらよろしくお願いします!




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