ショートショート8『アーカイブは消えない』
『朝比奈くんってさ、大学生の頃の趣味とかって何だったの?』
社会人になってから趣味の時間も取れなくなったよなぁという話の流れで、会社の同僚にそう尋ねられた。
『朝比奈くん、ゲーム好きだったよね?確か、Apex?とかヴァロラント?だっけ?』
『そうそう。SwitchとかPSとかじゃなくて、PCでやるゲームね。めっちゃハマってたよ』
大学に入って一人暮らしを始めた時に、入学祝いとして親に買ってもらったPCで、当時流行ってたゲームをプレイしたのが最初だった。
『へぇ〜僕はやってなくて小耳に挟むくらいしか知らないけど、すごい人気のゲームだよね。』
『今もすごい流行ってるジャンルだね〜。世界大会なんかも開かれてて、優勝すると凄い賞金が出るやつもあったりして。俺も一時期は、若気の至りで、プロ目指す、とか意気込んで、毎日、朝までランクマ回してたなあ』
『朝まで!?』
『そう朝まで。途中で寝落ちしちゃうこともよくあるんだけどさ。でも、こういうゲームの界隈だと結構そういう人多いよ。』
『あ、そういえば、寝る前にYouTubeとか観てると配信者の人たちがゲームやってて、朝起きてもまだやってたりすること、よく見るかも』
同僚にとってはそういう人種が珍しかったのか、意外にも食いついてきたので、ゲーム界隈の人間の日常について二、三、説明した。
『す、すごい毎日だね…文字通り昼夜逆転の生活をしてるなんて…』
『まぁ、といっても、こんなハードな生活をしてるのはごく一部だとは思うけどね』
『なるほど。これまでの話をまとめると、朝比奈くんの大学生活はゲーム漬けの毎日だったわけだ。』
『う〜ん、実はそうでもないかな』
一年生の頃はそういう生活を毎日続けていたのだが、学業との両立ができていたわけではなく、多くの単位との引き換えのゲーム生活だった。
大学から実家に成績通知が届いたことでそのことが親にバレて、わざわざ下宿先に3時間もかけて乗り込んできて大目玉を喰らった。
『だから、そういう生活は一年間だけで、あとは普通の大学生活を送ってたかな』
『なかなか大変だったんだね…。じゃあ、残りの3年間は特に趣味らしい趣味はなかった感じなんだ?』
『そうだな〜真面目に勉強してたよ〜』
そう答えようとしたのだが、胸の中で何かがつっかえる感覚があって言い淀んだ。
確かに、親に大目玉を喰らってからの3年間は学業やバイトに真面目に取り組んだ。やってたゲームも全部アンイストールしたし、友人から誘われても全部断った。
だけど、それだけじゃなかった気がする。
もちろん勉強だけじゃなくて、友人と遊んだり、サークル活動とか恋愛にだって一生懸命だった。
でも、そういったものじゃなくて、俺の大学生活のかけがえのない一部で、当時の俺の趣味とも言えるものがあったはずなんだ。勉強とか恋愛とかサークルとか、そんな鮮やかな生活の合間合間の地味な生活の中に根づいていた、そんな記憶があるはずなんだ。あったはずなんだ。
なのに、そんなに重要なものだったはずなのに…なぜか、なぜか、思い出せない。
そんなことを考えていると、ちょうど同僚が降りる駅に着いていた。
『面白い話が聞けてよかったよ。じゃあ、朝比奈くん、また会社で!お疲れ〜』
同僚に挨拶を返して彼を見送ると、俺はすぐにスマホを取り出して、当時のメールやSNSを振り返り始めた。
ケンカ中の友人に送った謝罪のメッセージや当時の彼女へ送った恥ずかしいDM、親が毎日送ってきた、ちゃんと授業に出てるか確認のメールなど、色々出てきたが、俺から抜け落ちているはずの大事な記憶に関するものは一向に出てこなかった。
ただ、一つ、気になるものがあった。
自分が3年生の終わりの頃に、SNSで誰かの投稿を引用する形で呟いているのだ。
『今まで本当にありがとう。あなたからこの2年間、数えきれないものをたくさん受け取りました。感謝してもしきれません。あなたがこれから進む道がどのようなものなのかはわかりませんが、きっとあなたなら幸せでいっぱいの道にできるとそう祈っています。今まで本当にありがとう!いってらっしゃい!』
引用されている投稿はすでにアカウントが消されているのか、表示されていなかった。
数年前の自分がしたであろうこの投稿を見つけた瞬間、心の奥底にある、鎖でがんじがらめになった棚の鎖が一つ落ちるような感覚があった。
数年前、自分は何かをこの中に閉じ込めたらしい。
でも、それが何なのかまだ見当もつかない。
自宅のアパートに帰ってくると、着替えもせずに部屋のクローゼットの中にあるダンボールをひっくり返した。
実家にいた頃のものや下宿時代の大事なものをこのダンボール一箱にまとめて持ってきていた。
色んなガラクタの中から、洋菓子の缶の入れ物が出てきた。缶はダクトテープのようなものでぐるぐる巻きにされており、蓋は決して外せないようにするためか、ボンドとグルーガンと針金で固定されていた。
下駄箱にある工具箱を急いで取ってくると、ひとつひとつ、封印を切って、剥がしていった。
ひとつひとつ封印が消えていくたびに、涙が溢れた。
まだ全てを思い出したわけじゃないけど、なぜこんなにも厳重な封を施したのかがひとつひとつから伝わってくる。脳みそは何も覚えてないのに、身体が当時の感情を覚えているらしい。
『…そうだ…そうだ…なんでこんな大事なことを…忘れてたんだろう…』
全ての封印が解けて缶を開けると、中にはたくさんの手紙とグッズが入っていた。
手紙は、俺が送ったファンレターへの返事だった。記念ライブが発表された時や新衣装お披露目、色々あって一時期活動を休止してた時、それから、俺の個人的な記念日に送ったファンレターの返事。そのひとつひとつへの返事。俺が便箋1枚送れば、2枚になって返ってきたし、俺が2枚書けば、4枚になって返ってきた。ある時なんか、2枚しか送ってないのに、6枚になって帰ってきたこともある。あの時は流石に驚いた。
このグッズは周年記念ライブで発売されたアクスタに、こっちは誕生日記念で発売されたマウスとマウスパッドに、バレンタインに発売されたシチュエーションボイスを聞くためのコードが書かれた紙、またアクスタ、ポストカード、ストラップ…
『全部が消える前に…全部消したかったんだ…忘れたかったんだ…』
卒業したライバーのものは全て無かったことになる。
SNSアカウントも、YouTubeチャンネルも、彼女の作品も、全て無かったことになる。
彼女の轍は、コラボ配信や有志の切り抜き動画に残るだけで、彼女が2年間かけて紡いできた、言葉や感情や動きや歌や挑戦は、その切れ端しか残らない。
だから、俺は、もう何もかも忘れたかった。
無かったことになる彼女の全てを見ていられるほど強く無かった。
だから、俺が彼女の投稿に送ったリプライは全部削除した。彼女が消えたら、ただの独り言になるから。
だから、俺が彼女の配信ハッシュタグをつけてコメントした投稿は消した。彼女が消えたら、ただの妄言になるから。
だから、俺が撮った彼女の新衣装配信のスクショは消した。彼女が消えたら、悲しいだけの追憶になるから。
だから、俺が書いたファンレターへの彼女からの返事も、このグッズたちも…
『でも、やっぱり、捨てきれなくて、こうして…』
彼女の、最後の投稿に引用する形でこれまでの感謝のコメントを寄せた。
その投稿だけは消さなかった。
投稿してすぐ、いいねが一つだけ付いた。
次の日、俺が引用した投稿は表示されてなくて、ひとつのいいねが消えていた。
それを見て、俺は、全てを忘れた。忘れてしまっていたんだ。こんな大事なものを。全部。
『ありがとう「 」。』
『俺が忘れちゃったら、本当に何もかも、消えてなくなっちゃうもんな…。』
『思い出せて良かった。』
その日、俺は彼女のハッシュタグをつけて投稿した。
『アーカイブが全部消えても、あなたのことを私は覚えています。もう、決して忘れません。#「 」』
おわり。