日記20 終末が来たら、誰が会いに来てくれるだろう?
最近、Twitter漫画の流行りで、世界滅亡系、終末系と言った方がいいですかね、をテーマにした漫画が結構、投稿されてます。(こういう萌芽し始めた文化が起こす小さな流行りみたいなの良いですよね。ちなみに、終末系が流行っていると言う情報は、私自身も何となく、そんな気がするな〜くらいには感じている程度で、そう言う事実があるのでは?と言っていたのは、かの『尊い漫画をいやらしい雰囲気にさせる人』さんです、最近、改名されましたね)
Twitter漫画で私がよく見ているのは、尊い漫画という、青春とか友情とかその他、人間関係やら人間と動物だったり、異形の存在だったりとの関係、つまるところ、どんな存在とでもいいんですが、そういった他者との関係性の理想系、つい拝みたくなるようなそんな眩しくも、胸が焦がれるような間柄を中心に描いた、そんな漫画なんですが、(ここでの、"尊い"という感情は言葉にするのが難しいんですが、こんな感じだと思います)そこでは、終末系というと、だいたい、最後の1日を恋人だったり、片想いしてた人に告白して、その人と最期の一時を過ごすという選択をとっていることが多いんですよね。
これらのストーリーというのは、すごく好きですし、読んでいて、まさに、尊い!という感情を持つことを禁じ得ないんですが、今、まさに付き合っている恋人なら、最期の一時を過ごすのは、まだわかるんですけど、片思いの人と急に、となるのは、少し現実離れしているような気もします。こういうことを言うのは興醒めではあるんですが、今日は、尊い漫画の話ではなく、終末のひと時について。
終末が明日、来ることがわかっているとして、その最期の24時間、寝てたりするとしたら、実質的には16時間くらいですかね?(そもそも、明日が最期の1日とわかっていて、いつもと同じように寝る人間がどれだけいるのか…じぶんだったら、オールして最期の1日を迎えそうな気もします。ただ、寝てないので、終始ぼんやりした感じで、最後の1日を過ごすことになりそうではありますね)を誰と過ごすか、というのは、結構、語られがち?なテーマではあると思うんですが、家族と過ごす!という人が多いような気がします。
ただ、最期の1日なんて、響きは恍惚なものがありますが、現実は無秩序でカオスな、めちゃくちゃな世界の中で1日を過ごすことになりそうじゃないですか?
だって、明日になれば、皆、白骨も残らないようなそんなことが事実として、目の前にあるわけですから、もちろん大勢の人が会社や学校になんて行かないでしょうし(どうしても行ってしまう人もいるでしょうね。特に、労働以外に、趣味的なものがない人は特に、行ってしまいそうですね。ただ、普段通りの日常を送って死ねるという点ではまだ、他の狂いに比べれば尊厳は保っているのかも?)、普段なら絶対にできないこと、例えば、裸で出歩いたり、どことなく小便をしたり、店のものをその場で食ったり、動物園の象の背中にだって乗る奴が現れるでしょう。想像だにしない事が起こる世界です。退屈はしなさそうですね。
と、何が言いたいかというと、家族と最期を過ごすという選択肢は、実は意外にキツいんじゃないかということです。まぁ、これは、家族以外でも言えることなんですが、こんな世界では、誰もが正気を保てないと思うんですよね。そんな中で、よく見知った人々、家族や友人らが狂った姿を見るのって、実にしんどそうです。(そもそも、この時点で自分も狂ってるので、そういう狂った周りの姿を見ても何も感じないという説もあると思いますが…)家族が素っ裸で、しょんべんやら糞やら撒き散らしながら、近隣の嫌な奴にビンタ喰らわして、近くの川を日本泳法で泳いでる姿なんて見たくないですね…、そんな行動を取るのかは知りませんが…。
これは、恋人とか片思いの人と過ごすという選択肢にも降りかかってくる悩みで、自分のそういったパートナーや好きな人に会いに行ったら、逆立ちしながら電柱とキスしてる姿なんて見たらもう、今まで正気を保っていたのがバカに思えてきて、自分も逆立ちになって、同じところを舐めそうな気がします。
こうなってくると、パートナーや好きな人に会いに行くという選択肢は一か八かの選択肢になってきます。会いに行って正気を保っていれば、同じく正気を保っている者として、吊橋効果やらなんやらが混ざって、ランデヴーでしょう、海でも山でもどこへでも行って、隕石が落ちてくるのを待てばいいのです。しかし、八に当たった暁には(一か八かってどっちが悪い方なんですかね?)、逆立ちで電柱を舐める結末に終わります。こえ〜。
ということは、やっぱり一人で過ごすのが良さげなんじゃないでしょうか。家に自分以外がいる場合は、その狂った姿を見ることになる可能性があるので、出来るだけ一人になれる空間が欲しいですが、とはいうものの、外に行くと、そこは危険で無秩序な世界なんですよね…。まぁ、どうにか安全を確保して、外に出るとして、自分だったらどこに行きますかね〜。
今、パッと思いついたのは、高校でしょうか。以前の日記のどこかで書いたんですけど、高校時代の好きな人を理想視しているので、その人との思い出が一番、強く鮮明に残っている高校に行くかもですね。高校って、なかなか、平時には入らないじゃないんですか?、終末という有事なので、バンバン入って、昔使ってた教室とか、廊下とかを見ながら、触れながら、感傷に浸りつつ、時間を過ごすかもしれません。ただ、ここまで言っててあれなんですけど、こんなシチュエーションだったら、普通に、隣にその理想視してる好きな人、いて欲しいですね…。なんてこった。私はどうすればいいのか…(この理想の人とは、高校卒業以来会ってもいないし、今どこで何をしてるとかも、わけわかんないので、そもそも会いに行くことすら難しそうですけどね。週末の日とか、みんな既読無視か未読スルーしそうですよね。私は既読無視派になると思います。それか、普段だったら使えないようなスタンプで返事するかも。)
でも、一つ、こういう可能性があってほしいと思うのは、先述したような、狂ってない人との出会いかもしれませんね。例えば、今、思い浮かんだのは、高校の時にお世話になった、めちゃ真面目な英語の先生なんですけど、その先生なら、狂気の世界でも、正気のまま、一人学校に来ていそうな気がします。もしかしたら、学校に来ている生徒がいるかもっていう思いから。もしあの先生が来ていて、それで出会ったら、凄く幸せな時間になりそうですよね。当時のこととか、なんでも赤裸々に話せそうですし。『実はあの人のことずっと好きだったんですよね〜』『あ〜、やっぱりそうやったんか〜、ずっと見てたもんね』『え、そんな出てました!?僕!?』みたいな…、最高。
こういう意味では、このような世界では、誠実に正直な会話ができそうですよね。哲学と哲学のぶつかり合いみたいな、本当の意味での"尊い"会話が、間柄が待っているかもしれません、そんな関係性にそこで初めてなれるかもしれませんね。
ここまで色々と考えてきたんですが、逆に考えると、週末の日になって、自分に会いたい、あるいは、連絡を取りたいって思ってくれる人ってどんな人なんですかね?
あるいは、どんな人が私に会いたい、最期のひとときを共に過ごしたい、と思ってくれるんでしょうか。気になりますね。自分が誰かにとってのそんな人間になれているとしたら、それは、最良のことのような気がします。
僕の好きな人、最期の日には僕のところに来てくれー!
僕の好きな人、逆立ちして電柱を舐めていないでくれー!
おわり