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日記8 好きな人の香りと墓標


前回、書いていたシャンプーをついに使ってみました。

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届いたシャンプーがこれです。

朝早く届いて、玄関の前にぼてっと置かれてありました。配達してくれた人から自宅の玄関にこれが置かれている写真が届きました。最近はこんな感じなんですね。でも、こういう配達方法が周知されてないと、よくわからない人が、勝手に他人の玄関を写真に収めているって思われそうですよね。配達人さん…。


このシャンプーは、このまま使うわけにもいかないので、前にも書いた通り、市販のボトル(ディスペンサーっていうみたいですね、カッコいい)をダイソーで買ってきました。

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自分で撮ったんですが、ずいぶん不気味な写真ですね。


本当は、ニトリでプッシュ部分がアルミのお洒落なやつを買おうと思っていたんですが、意外と、ディスペンサーって高いんですね…。おんなじような大きさのもので、800円くらいしましたし、そうやすやすとオシャレにはなれないみたいです。


それで、同じ施設にダイソーがあることを思い出して、これを買ってきました。シャンプーディスペンサーって、ジャンルが何かわかんないので、どこに置いてあるかわからないですよね。ニトリとかダイソーだと天井に、この区画は何が売ってるとかを書いた板がぶら下がっていますが、あそこに、バス用品とかお風呂用品っていう括りが、どっちもないんですよね。あってもいいカテゴリーだと思うんですけどね。


で、昨日、今日と使ってみたんですが、感想としては、ちょっとあれ?っていう感じでした。期待外れ、とまではいかないんですが、こんな匂いだったっけ?という拍子抜けな気分です。前回書いたように、本当に嗅覚って覚えられないもんなんですね。


といっても、満足ではありました。ユーカリの香りが頭からふんわり香ってきて、頭を上げたりだとか、髪をくしゃくしゃ、とするたびに、懐かしい香りが漂ってきます。(懐かしいといっても記憶にあった匂いとはっきりそのままではなかったんですが)


これを買うきっかけになった高校時代の好きな人の香りはもっと強いんですよね。このシャンプーの香りは薄いというか淡くて、色で例えると、黄緑とか薄緑なんですが、もっと彼女の香りはちゃんとした濃い緑色っていう感じなんです。はっきりと主張をしてくる香りだけど、決してきつい、嫌な香りではなくて、心が安定するというか、静かな興奮を味わえるそんな香りでした。思い出補正もあるとは思いますが。


このシャンプー自体は、彼女の香りの核となる部分は似ているけど、やっぱりどこか違う、というか、まぁ、彼女自身の姿が感じられるわけでもないので、そこの気持ちの乗らなさ、というものは、どうしても再現できないので、そこまで気持ちがならないのかもしれません。


でも、すごく楽しいですね。高校時代も同じシャンプーを使ってたので、当時を思い出すというか、ノスタルジーに浸れます。ノスタルジーって、人によってはちょっとした、麻薬めいたものになりませんか?、過去というぬるま湯に使って古傷を癒すようなそんな湯に浸かってる感覚になります。あまりにも心地良くて、そこから出られなくなってしまうような、そこから前に進めなくなってしまうような、そんな中毒性を持ったものです。(この世界のあらゆるものは多かれ少なかれ中毒性持ってあるとは思いますが)


ずーっとこの感覚に浸るわけにもいかないんですが、当時の感覚に近づいていくような、そんな気持ちいい状態になれますね。(これを書いているのが深夜というのもありますが)


最近、誰かのツイートで、『好きな人がいる修学旅行というのを我々はもう二度と体験できない』と言っている人がいて、すごく納得しましたね。結局のところ、全てを投げ打って、というか、ある種、無責任に恋愛に没頭できるのって、高校生くらいまでだと思うんですよ。大学生以上になると、やれ結婚やら、やれ子どもやらと、色々な問題がついてきて、社会的に認められ、責任を持つ存在となる可能性がより色濃く出てきて、いや、まさにそういうことを考えることが全然空想的ではなく、現実感を持って身に迫ってくるようになるんだと思います。


小、中学生、高校生カップルの結婚しようという言葉と、大学生、あるいはそれ以上のカップルの結婚しようには、その中にあるニュアンスが全然、異なってくると思います。小中高のうち、もっとも自我がはっきりしていて、物心もついきて、世界がはっきりとしだしてくる、高校時代の恋愛がそういう意味で、打算的なことも、経済的なことも考えることなく、純粋に、ただ純粋に、注力できる恋愛なんだろうなと思います。


そういう意味では、高校時代の恋愛なり、片思いが忘れられないというのは、自然なことなのかもしれませんし、そんな全力で好きだと言える相手がいる修学旅行とは、一際、心に強い激情をもたらすものなのでしょう。


私の高校の時の思い出って、修学旅行も含めて、悲しみで汚染されているんですよね。いい汚染でもあり、悪い汚染でもあるんですが、当時、そんな激情を抱えながらの修学旅行だったので、思い出すと苦しいんですが、一方では、その悲しみに浸ることで、癒されるというか、当時の自分の悲しみに同情できるというか。


今の自分って、死んでいった過去の自分たちの積み重ねだと思っているので、そんな死んでいった過去の自分たちの弔いに浸れるようなそんな感じになります。

私の思い出の中の修学旅行には、過去の私の墓標が立っていて、そこを思い出させてくれるような、これは、そんなシャンプーでした。


おわり

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