【story】鎌倉高校前駅
どのくらい時間が過ぎたか、あえて時計を見ずに駅から見える海と空の様子で恐らく昼頃かと考える。
この駅に着いてから、大分経つ。
今日は朝から日差しが強くて体に堪える。時折吹く海風に火照った顔を差し出すようにする。
駅のベンチでただ座って、ただ海を眺めているだけの女がいればもちろん不思議に思う人はいるだろう。あまり関わりたくないと思う人は私を空気として見てくれるし、おせっかいの人は
「大丈夫ですか?」
声をかけてくる。すみません、大丈夫です。本当に大丈夫なんです。私を空気にしていただいて大丈夫ですから。
私自身もずっとこの駅にいるつもりはない。
でもこの場を立ち去ろう、電車に乗ろうとする気になれない。
このところ、気持ちが落ち着かなかった。
仕事は相変わらず忙しいし、密かに想いを寄せていた同期に彼女が出来たことを知り、自分は笑顔で「おめでとう」と言ったつもりが、涙を流してしまう失態を犯した。
自分でも理解に苦しみ、そんな言葉にならない感情を「ごめん」って一言で片付けて欲しくなかった。
それからの仕事っぷりは情けない結果が続いた。ここで泣けばいいのにヘラヘラしてしまったから余計上司の逆鱗に触れる。
「今日は体調がすぐれないのでお休みします。」
そう電話で話した時、電話に出た同期は
「本当に大丈夫か?仕事終わったら寄ろうか?」
なんて言うから
「いや、放置でいい。」
と電話を切るしかなかった。
なんだよ。優しくするな。
私が今気持ちが落ちてる理由はわかってるはずだ。
駅に到着する江ノ電の、人が疎らになる時間帯と
4両編成の車両が人で溢れかえる時間帯と
もういくつの電車を見送っただろう。
このまま電車に乗って家に帰ったら、あいつがうちに寄りそうだからな。
何かしら理由をつけるなら、いっそのこと水着を持ってくれば良かった。目の前は海だ、泳げばいいんだ。泳げないけれど。
一定のリズムで押し寄せる波を見ながら、これからどうするか明確な答えを探している。
以前もこの駅の、同じ場所にあるベンチに座って海を眺めていたことがある。
あの時は夕陽が見たかったので、夕陽が海に沈むまでここにいた。
あの時も疲れてたな。何も考えたくなくて海を眺めてた。あの時、帰ろうと思ったきっかけは何だったんだろう。
「大丈夫ですか?」
大丈夫だから空気にして欲しいんだけど…
と見上げると、駅員だった。
目深に帽子をかぶっていたが、帽子を取って話しかけてきた。
「夕陽まで眺めてますか?それで気持ちが落ち着くならいいですよ、そこにいらしても。ただ今日は暑いので、気をつけて。」
と、スポーツドリンクを差し出してきた。
え、あ、ありがとうございます!思わず受け取ったけど…
あれ、何故「夕陽まで眺めてますか?」なんて駅員が聞くんだ?
「あ、あの!」
「はい。何か。」
「あ、あの、どうして『夕陽まで眺めるか』って聞いたんですか?」
「…ああ。前にもここに来てたことありましたよね?その時もこうやって声を掛けたんですよ。他のお客様からも心配だからって、様子を見に来たんです。そしたら…」
『どうしても夕陽を見たいんです!』
「と、泣かれてたので、その時僕があなたの側でさりげなく見守りつつ、夕陽まで付き合いましたよ。覚えてますか?」
駅員にそう言われて…必死に記憶を駆け巡る。
そうだ。そうだった。帰ろうと思ったのは夕陽を見て感動した時に
「この駅に助けられることがあれば、いつでも夕陽を見に来てくださいね。」
とこの方に言われたからだ。
「あ…ありがとうございます。…お言葉に甘えて夕陽を見るまでここにいてもいいですか?」
「いいですよ。この後僕がホームの担当なので、見守ってますよ。ただ、大丈夫ですか?お腹は空いてないですか?無理はしないでくださいね。」
そして
「この駅にあなたが救われるのであれば、僕は役目を果たしたことになります。ちょうど夕陽が沈む辺りで僕の仕事が終わります。あなたさえ良ければ江ノ島でも散策されますか。一緒に。」
・・・・・ん?
「ああ。僕はまだ勤務中でした。これだと勤務時間中にナンパしてるって怒られますね。」
私はまたこの駅で、そして駅員に助けられた。
まずはこの後、自己紹介からかな…。