「サヨナラホームラン」を聴いていた
「やっと見つけたんですね」。
数年ぶりに会った後輩に突如言われて、一瞬なんのことだかわからなかった。
「いい感じじゃないですか。最近。楽しそう」。
という続く言葉を聞いてなんのことかわかったと同時に、研究室の同窓会の帰り道、駆け寄って来て「もう1軒行きましょう」と呼び止めた理由も理解できた。
彼は、今から約10年前、社会人1年目の私をよく知っている。
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彼を筆頭とする優秀な後輩たちのサポートにより、無事修士設計を提出して、人より長い学生生活を終えたのが2010年3月。
その時点では就職先が決まっていないどころか、何をやりたいのかもわからず、ひたすらにポートフォリオを作り続けていた。
卒業したにも関わらず、研究室に入り浸りポートフォリオを作り続ける私の横で、後輩たちは自分たちの卒業後を見据えて動いていて忙しそうだった。
4月が終わる頃、某有名デザイン事務所にポートフォリオを見てもらうことができ、入所。
後輩たちは「絶体絶命でサヨナラホームラン決めるタイプですね」とお祝いをしてくれたが、思い描いていた社会人の生活からはほど遠い、学生時代と変わらない泊まり込みの日々とおこづかい程度の給料、次々と脱落していく同僚を見ていたら不安になり、試用期間終了と同時に辞めた。
当時ラジオから流れていたスガシカオの「サヨナラホームラン」をよく覚えている。
その後の数週間、図書館で1日を過ごし、昼は母が作った弁当を食べた。
母にも友人にも辞めたことを言えずにいた。
それが私の社会人1年目。
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ありあまる時間の中で気づいたことが、今につながっていると今では思える。
私は学部生時代1冊の本を指針に卒業設計をし、修士設計もまた3冊の小説から建築を作るという内容だった。1年半ほど建築専門書の編集部でアルバイトもしていた。デザイン事務所でも、作品集編集に携わっていた。
そして、今は毎日、図書館で本に囲まれている。
そんな気づきから、私はアルバイト先として出版社を選んだのかもしれない。
そこから少しずつ進んだり、相変わらず迷ったり、立ち止まったりしながら、いくつかの転職を経て、今の仕事に就くのだけど、先の後輩とはその間しばらく会わなくなっていた。
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久しぶりに会った後輩は「建築じゃなかったんですね」とも言った。
たしかに建築を仕事にしていなけれど、学生時代に私が描いていたことと、今やっていることはそう遠くないんじゃないかという気もしている。
後付けだけど。
再会した場が、研究室の集まりということで、周りには建築関係者が多かった。
卒業してからの数年、私はどこか建築を辞めたことを恥ずかしいと思っていた。さもなければ、なにかすごいことをして「サヨナラホームラン」くらいのインパクトがなきゃいけないと。
10年経ち、そんな気持ちはどこかになくなっていて、たしかに「やっと見つけた」のかもしれないと感じられるようになっていた。
ずいぶんとくすぶっていたけど、10年かけてやっと自分のマウンドを見つけたところと言ってもいいかもしれない。
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後輩たちとあの頃毎日行っていた「はなの舞」で、いつものように乾杯をする。
「やっと見つけたんですね」
「そうかもね」
久しぶりの楽しい再会もちゃんと終電で帰るくらいには大人になっていた。