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ウィンナーとピーマンと希望の轍。
どの家にも朝ごはんの定番というものがあると思う。
我が家で言うとウィンナーとピーマンを炒めたものがそれだった。
その料理には名前があるなんて知らないまま、小学生の頃の私は眠気まなこでそれをつつきながら、めざましテレビから流れる「希望の轍」に耳を傾けていた。
それから四半世紀。私は彼らと再会することになる。深夜の南青山の地下のバーで。
「希望の轍」ではなく、名もなきウィンナーとピーマンに。
***
その夜はというと、永田町で仕事が終わったあと半蔵門線に乗り青山一丁目のバーへ行き、お店の何周年だかの記念で誰がが頼んだシャンパンを1杯飲み、タクシーへ飛び乗り、件の南青山のバーに辿り着いた。
地下へ降り、扉を開けると真っ赤な内装が金曜日の23時の高揚感を増幅させた。
ワインを飲み、グラスを開け、おしゃべりやクイズゲームに興じる私たちに先客が言った。
「ウィンピー食べた?食べた方がいいよ」。
その店はワインと鉄板焼きを出すお店だったから、ヨーロッパあたりのピーナツを使ったおつまみかアジアあたりの珍味(ピータン的な)かと思ったか思わないか、お酒と金曜深夜のテンションで、迷わずオーダーした。
しばらくするとカウンターから出てきたのが、やつだ。ウィンナーとピーマンを炒めたもの。
毎朝惰性でつついていたそれには名前があったのだ。
ウィンピー。
なんてことはない、ウィンナーとピーマンで“ウィンピー”。
四半世紀ぶりに想定外の場所での再会にひとり心の中で驚愕する私に、「これとワインがね、いいんだよ」とかなんとか先客が言っていた。
それを遮るように「これ、子どものとき毎日朝ごはんに出てました」と再会を報告する私。
私の脳内には「希望の轍」のイントロが流れていた。
バーの先客にとってのワインの友は、私の朝ごはんというちぐはぐの認識は、ちぐはぐした会話のまま対して盛り上がらずに次の会話に展開していった。
その夜はとても長い夜で、ウィンピーの店を出たあと巡り巡って恵比寿で朝日を見た。
歌い踊り狂う金曜の民たちの中で、もしかしたら「希望の轍」を歌った輩もいただろう。
***
さて、ウィンナーとピーマンを炒めたもの、通称“ウィンピー”は、朝ごはんなのかつまみなのか。
うちの母は酒飲みだから、飲み屋で食べたつまみを「朝でもよさそう」と朝ごはんに出したのかもしれない。
あるいはお店のママが朝ごはんに食べていたという線もある。
朝と夜を行ったりきたりしつづけるものなのかもしれない。ウィンピーは。
とにもかくにも、健全だった子どもの頃の朝ごはんをつまみにお酒を飲むというのは、妙な背徳感があって悪くない。ブラックペッパーをゴリッゴリにかけるのが肝。
いずれにしろ、食べるときはいつだって「希望の轍」のイントロが流れている。