半年後と20年後の乾杯のための夏。
初めてビールを「おいしい!」と思ったのは大学1年の夏だったと思う。
炎天下の中、Tシャツに塩が浮くほど汗をかきながら東京中を歩き回ったあとに吉祥寺の居酒屋で飲んだビール。
それまで「とりあえずビール」と言いたいだけで飲んでたビールが、はじめて喉をスーッと通り抜け、溢れ出る汗で枯渇していた水分が体中に満たされ、苦手だった苦味がこれからの宴を楽しむスイッチを入れ、思わず「おいしい」という言葉がこぼれた。
夏を感じると「ビール飲みたい」と本能的につぶやくようになったのは、たぶんそのときから。
梅雨が明けたね、誕生日だね(私は夏生まれで友人にも夏生まれが多い)、ビアガーデン行きたいね、汗かいたね、仕事がんばった、良いことあった、むしゃくしゃする、金曜日じゃん、ボーナス入った…と、たくさんのなくてもいい理由とともにビールで満たされた杯を交わすことで夏を過ごしてきた。
今年はそれがそうともいかなかった。
15年以上ぶりにビールのない夏を過ごしている。
胃が痛くても胃薬を飲みながらビールを飲み、風邪で声が出ない日はかすれる小さな声で乾杯をし、二日酔いでひどい頭痛でも梅干しとラムネとポカリでリカバリーして夜には飲みに行き、酔って階段から落ちて緊急搬送された翌日も記念日だからとお酒を飲んでいた私が、もうかれこれ半年以上もお酒を飲んでいない。
そして、おそらくあと半年くらいは飲めないだろう。
耐えられるはずがないと思っていた禁酒生活だけど、実は意外と平常心で過ごしている。
これが母性なのか?と思ったり、思わなかったりしながら、とにかく、もうすぐ生まれる子どものためにビールのない夏を過ごしている。
お酒の飲めない夏がこの夏でよかったかもしれないと、心のどこかで不謹慎ながらに思っていたりもする。
みんなでワイワイガチャガチャ乾杯して、「その話何回目だよ!」「何回目の乾杯だよ!」「今日何で飲んでるんだっけ?」「ま、いっかー」とケラケラ笑い転げる。
汗ばむ夜道を歌いながら缶ビール片手に遠回りしながら帰ったり、翌朝リュックの中から記憶にない花火が出てきたり、調子に乗って朝まで飲み明かした日は真夏の早朝の太陽の眩しさに驚愕しながら自販機で買ったミネラル麦茶を一気飲みしては、寝て起きれば忘れてしまう昨夜の記憶を思い返したりつつフラフラと家路につく。
ひとりで飲むビールより、誰かと一緒にビールを飲むのが好きだから。
夏はそうであってほしいから。
私が乾杯の場に戻る頃はもう夏ではないけど、きっとはじめて「おいしい」と感じたあの夏のビールと同じくらいスーッと喉を通り抜けていくはずだ。
そのとき、どんな気持ちなのかは今はまだわからない。
だけど、そのときが楽しみであるのは間違いない。みんなとまたビール片手に記憶に残らない話をするときが。
*
そして、もうひとつ楽しみがある。
それはごく個人的な。
20年後の夏、娘と乾杯をすること。
20年後の乾杯のビールは、実はもう用意してあるんだ。
もしかしたら20歳になりたての娘はまだビールのおいしさがわからないかもしれないけど。
「夏のビールがおいしく感じるときが来るよ」とかなんとかめんどくさい大人の標本みたいなことを言ったり、「20年前の夏はね…」なんてしみじみしながら、乾杯し、飲むビールはどんな味がするんだろう、と夢を見ている。
今年はそんな夏。