ロングバケーションと西永福の串カツ
渋谷駅からぎゅうぎゅうのピンク色の電車に揺られて20分弱。
ほろ酔いで下車するのは、最寄駅よりひとつ手前の駅。その時間になると商店街はほとんどシャッターを閉ざしていて、足早になりながら、LINEを打つ。
「西永福」
井の頭通りの信号を待っていると、スマホがブルルッと振動し、通知画面には「いる」の2文字。
信号を渡り、そこからはダッシュする。
目的は“みんな”のいる場所。
お店の前に立ち、そこら中に貼られたガラスの隙間から店内をのぞく。
串カツを揚げている店長や店員と目が合う。
“みんな”が少人数の時は、カウンターに座る数人が振り返り、手をあげる。
大人数のときは、気づかないので、テンションを上げて切り込んでいく。
終電間際に集い、串カツ(私はいつもササミとレンコン)と梅水晶とざくっときゅうりかもやしナムルを頼む。
3年間通う中で飲むお酒はころころ変わったような気がするけど、だいたいはビールか日本酒かハイボールか誰かの金宮ボトルをジャスミンハイで飲んでいた。
定期的に「ピンクスナイパー(ピンスナ)」ブームが来たけど、ピンクグレープフルーツが入ったこと以外になんのお酒だったのかは分かっていない。
何を話したのか、誰がいたのか。なんでそこに通うようになったのか。
正直、今となってはあまり思い出せない。
(全然余談だが、もやしナムルを無限に食べ続ける私を見て恋に落ちたという稀有な男の子がいたことは覚えている。)
でも、私たちは毎晩そこに通ったし、毎晩そこで飲んでいたという事実がある。ときには夢や愛なんかも語り合ったのかもしれない。
短いのか長いのかわからない、3年ほどのロングバケーションの中で、少しずつみんな変わっていき、ひとり、またひとりとその街を去っていく背中を眺めていると、ふと耐えきれなくなり、私もその街を去った。
最後の夜も“みんな”が集まり、串カツを食べ、もやしナムルと梅水晶を肴に誰かの金宮を飲み干し、ピンスナを浴び、ピンクグレープフルーツの皮が蓄積された。
ロングバケーションの間をどっぷり過ごした、そのお店の名前は『ここから』。
くすぶっていた時間だったけど、そこから動き出した最初の場所。
二度づけ禁止な串カツよろしく、多分もう戻れないバケーションな日々。