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10年越しのタイムカプセル

10年ぶりの活字中毒の症状が出ている秋の夜。

久しぶりに読んだ伊坂幸太郎の「ホワイトラビット」には、こんな一文がありました。

星ってのはやっぱり、夢がある。
昔は夜にやることなんてないんだろうから、見えるものといったら星くらいだろうし、深夜テレビもスマホもないんだから、時間は無限にあった。
だから、空を見ながら想像力を膨らませていたんだろよ (「ホワイトラビット」伊坂幸太郎)


10年前、大学生だった私は、毎日貪るように本を読んでいた。

村上春樹、伊坂幸太郎、東野圭吾、吉本ばなな、江國香織、小川糸、森博嗣、角田光代、島本理生、道尾秀介、森見登美彦、辻村深月…。

当時はお金もないからボロボロの文庫を研究室の後輩と回して、ひたすら物語を吸収する日々。

私たちは、理系の建築学生だったので、構造力学や建築史、都市論に行動心理学、文化人類学、社会学なども読まなくてはいけなかった。

同時多発テロからすでに時が経っており、その後の日本に何が起こるかも皆目想像もしていない時代だったから、現実的で社会的な問題を探さなくてはいけなかったのだ。

現実を受け止め、現実に作ることを夢見ていた私たちにとって、小説は、想像の世界の可能性を力強く教えてくれるものだったのだ。

現実的な課題を解決する建築を目指しながらも、その建築は決して実現することがない。
そんな卒業設計を前に私は、建築を作る意味を見失った。

かつて、人々は夜空を見上げ星をたどり、星座という絵を描いた。
(中略)
わたしたちは今、闇を照らす灯りも、絵を描く筆もスケッチブックも持っている。
空を見上げて絵を描くことなんてできるのだろうか。(卒業設計「建築をめざして」より)

現実に手がかりを見つけられなかった私は、建築界の巨匠ル・コルビュジェの視点と言葉、建築論という物語に心酔し、上記のようなコンセプト文を掲げ、結局建築を作らなかった。
(※コルビュジェはめちゃめちゃ論理的でかっこいい建築をたくさん作る人です)

その後も迷走しながらも建築を目指した私にとって、やっぱりいつだって物語が近くにあった。

そうして、結果的に修士設計では、村上春樹と伊坂幸太郎の物語を題材に、小説に見られるパラレルワールドを建築に落とし込むという、担当教授から「好きにして」と見放される夢追い人になってしまうのだけど。

大好きな物語の世界へラブレターを送る気持ちで作った修士設計にはこう書いている。

こんな風に考えたことはないだろうか。
自分のいる世界のすぐ隣には別の世界が展開している。私の今こうしているこの場所のすぐ隣にも、私の知らない世界が広がっている。
(修士設計「パラレルに展開する世界を巡る思考」より)

「ホワイトラビット」にあった一文は、10年ときを超えて届いたタイムカプセルのような言葉で、もうひとつの別の世界がつながっていると感じるには十分すぎる107文字だった。


ちなみに担当教授からは「好きにして」と言われたが、反対されなかったことをポジティブに捉えて、夢想に突っ走った。

別の教授から言われた「知的でアバンギャルドな挑戦」という言葉は、今でも大切な宝物になっている。

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