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『きみの鳥は歌える』と次の季節
「僕にはこの夏がいつまでも続くような気がした。9月になっても10月になっても、次の季節はやって来ないように思える」(『きみの鳥はうたえる』より)
あの夏がどうやって終わったのかを思い出せないでいる。
汗と酒とタバコと夜のにおいが染み付いた、あの頃よく着ていたあのTシャツがどこにあるのかも。
はじまりは肘に触れるくらいささやかなものだったかもしれない。
ひとりふたり増えていき、いくつかの夜が過ぎ、ひとりふたり去っていった。
汗まみれで缶ビール片手に夜の道を歌いながら歩いたあの夏、たしかに次の季節はやって来ないような気がしていた。
ただ手に持ったビールがぬるくなっていくのだけを感じて。
夏は過剰だ。
汗をかくし、気持ちはふわふわするし、酒はいくらでも飲めるし、夜は長い。
なにひとつ覚えていないのに過剰ななにかがある。
だけど夏は終わるし、次の季節は来た。
いくつもの夏があって、いくつもの次の季節が来て。
それでもこの物語は私の一部だと思った。
夏の陽が沈む、次の季節のはじまりの瞬間にこの映画に出会えたことは、なんかいいなって。すごく思った。
きっと終わらないだろうと思った夏も“次の季節”になれば、少し目を細めて、唾を飲み込み、そして口角から溢れ出る照れ臭さとともに蘇る何かになるのだろう。