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茜色の夕日の向こう側

最後の花火に今年もなったな 「若者のすべて」フジファブリック

10年前のこの歌をよく耳にした夏だった。

“平成最後の夏”というパワーワードが、この季節特有のセンチメンタルをより一層加速させた、そんな夏だった。

なにかが終わるというのは、妙に気持ちをそわそわさせる。
不安もあるのかもしれないけど、どちらかと言うと“なにかが変わる”という予感を増幅させる気がする。


高校生活が終わったら、
こんな田舎から出て行ったら、
忘れられない元彼を吹っ切れたら、
不毛な日々を抜け出せたら、
昔の憧れの人に会えたら。

なにかが変わったら、自分も変われるのかもしれない。

変わらない自分たちを変えてくれるなにかをずっと待ってる。
退屈から連れ出してくれるなにかを。


なにかが終わり、なにかが変わりそうな予感に包まれている今年の夏に観た映画が『ここは退屈迎えに来て』。
映画館を出ると、目の前には茜色の夕日がありました。

少し思い出すものがありました。
なにかが終われば、自分の退屈も終わると思い込んでいた季節のことを。

そして気づいたことがありました。
なにかが終わっても、なにも変わらないということを。退屈はそれはそれで悪くないということも。

茜色の夕日を眺めていたら 少し思い出すものがありました短い夏が終わったのに今、子供の頃の寂しさがない(「茜色の夕日」フジファブリック


***

追記・
この夏、たぶん私は結構変わりました。
なにがって、書類上の名前が変わったのです。
もともとの名前が好きなので、表面上は変えないし、書類の名前がかわったところでなにも変わらなくて。

「私は変わろうと思って選んだから、変えなきゃって苦しかった。ずっと2人が変わらないために、選んだってなんかいいなって思った」と10年来の友人に言われました。

大人になると変わることなんてないんです。

「運命的じゃなくていいと思います。飴ちゃん食べる?食べようかなみたいな感じで」と、尊敬する人も言っていました。


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