「泡沫に沈む」
言いようのない気持ちに包まれながら、今を祈っている。詩人の居場所を唯、探している。居場所など、水の泡の如く、ないのかもしれない。しかし泡程度はあるだろう。それで充分だ。充された気持ちになりながら、また虚しい気持ちにも浸る。「人の気持ちを蹂躙するのは許せない」と云いながら、それはいつのことだったかと、思いを馳せている。はたして、人の同情や関心を惹く行為は、ある意味で、子どものダダを捏ねるように、ぶすくれた感情任せの態度なのだ。でも支援する側は、「いいよいいよ」と云うのだろう。「好きでやっているからいいのよ」と。まるで水や、泡沫の泡のよう。そこに一房の徒桜の花びらを乗せる。人の手に掬われずに零れた花びらは、ただ、ただ、虚しい泡を浮かせた水辺に落ちうる。「泡沫に沈む」