音楽が聴こえる。#3「スペシャル」
57歳。仕事、仕事で生きてきた。
家事にも、育児にもまともに参加することができないまま、時は過ぎ、一人息子も気がつけばもう大学生。一緒に遊ぼうと誘ってみるのも妙だろうか。大体、息子と2人で何をして過ごしたら良いのかもよくわからない。
息子に直接聞いてみるのも、今更なんだか気恥ずかしくて、おそらくは息子の楽しい記憶の中にはいないであろう過去の自分を恨めしく思った。息子の子供時代に楽しい思い出のひとつも作ってやれない父親に、まさか自分がなるとは思いもしなかった。
次の日曜日はめずらしく何の用事もない一日だった。リビングのソファにだらりと寝そべり、デーゲームの野球中継をながら見していると、妻からの冷ややかな視線がやけに鋭く刺さる。何だよ、休みの日くらい自由にさせてくれよ。
行き場のなくなった俺は、先日、息子に借りた本を読むことにした。本を読むのは久しぶりだったが、いつの間にか夢中で読み終えていた。息子の好きなものがほんの少しわかったような気になり、満足していると、妻に「読み終わったなら、部屋に返してきたら」と言われ、そうすることにした。
息子の部屋は二階の一番奥にある。中に入るのは何年振りだろうか。そっとドアを開けると、部屋の中には趣味で弾いているギターやたくさんのCD、好きなバンドのポスターが壁一面に貼られていた。もう、野球は好きじゃないのか…。少し寂しい気持ちになりながら、ふと机に目をやると、一枚の写真が飾られていた。
「この写真…」
手にした写真の中の俺は何だか照れたように笑っていて、同じく写真の中の小学生の頃の息子はどこか誇らしげな顔をしていた。手にはお互いに野球のグローブをはめていて、おそらくは公園でキャッチボールでもしたのだろう。この写真は一体、誰に撮ってもらったのか。多分、妻は一緒ではなかったはずだが。
記憶の蓋が開いた途端、忘れかけていた思い出が一気にあふれ出した。
息子が小学校4年生の頃だっただろうか。
日曜日に急な休みができた俺は、息子を一度だけキャッチボールに誘ったことがあった。
「あの日」はよく晴れた春の日だった。
息子は父親との初めてのキャッチボールに心なしかはしゃいでいて、俺は久々の運動でうっかり怪我をしないかどうか内心とてもヒヤヒヤしていた。息子に少しでもかっこいいところを見せたくて、思わず張り切ったことが今では懐かしい。
ああ、俺にも息子と過ごした楽しい思い出があったじゃないか。そして、息子にとってそれは今も大切にしたい思い出であるとわかったことがたまらなく嬉しかった。
にやけ顔でリビングに戻った俺を訝しげに見る妻を横目に、上機嫌で新聞を広げる。
今度は息子と何をしよう。
2人で酒を飲んでみるのはどうだろうか。
どこか一緒に出かけてみるのも良いかもしれない。
やりたいことを次から次へと考えては、隣であの日と同じように笑う息子の顔を想像してみたりする。