フィクション

「人を殴るのは、悪いこと。大の大人に、言うことじゃないよな。」

というコピーが、車掌に扮した藤岡弘(以下読点略)とともに付されたポスターをご存知だろうか。私は最近このポスターを見て泣いてしまった。

ここで「気持ち悪いな」と思った方はただちにブラウザバックをして、水回りを綺麗にするといったことに時間を使ってください。このあとも気持ち悪い文章が続きます。おうち時間を楽しもう。

さて、なぜこのポスターを見て泣いてしまったのか自分なりに分析してみることにする。私の立場や境遇は関係なさそうだ。藤岡弘に特別入れ込んでいるわけでもない。すると何が原因なのか。

このポスターが貼られていた駅には他にもたくさんの広告があった。たとえば、武田塾。サンドウィッチマンの2人がキメ顔で並び、そこに「授業はもういいぜ」と得意のセリフをもじったコピーが付されている。しかし私はここで思う。この2人は、伊達みきおと富澤たけしは、本当に「授業はもういいぜ」だなんて思っているだろうか。答えは否だろう。当然である。サンドウィッチマンは武田塾にイメージキャラクターとして採用されただけであって、別に2人の教育に対する思想が反映されたわけではない。

藤岡弘の場合もそうだっただろう。鉄道協会はポスターとして目を引くものに仕上げるために彼を採用しただけである。だが私は、ここで妙な背景を汲みとろうとする。藤岡弘は、本当にこの世から暴力がなくなって欲しいと願っているのではないか。この依頼を受けて、深く頷く藤岡弘を想像する。これ以上暴力の犠牲者を増やすわけにはいきませんね、と語る彼の目にはまったく曇りがない。撮影現場に到着して、スタッフに挨拶をして、車掌の服装に着替える。この間も彼は暴力の根絶を願っている。腕を組み、険しい表情をしてみせて、何度かフラッシュが焚かれる。撮影が終了し、服を着替え、スタッフに挨拶をし、タクシーで帰宅する。そのタクシーに乗っている間でさえ、窓越しに空を見つめて正義の炎を燃やしているような気がするのだ。

要は、説得力があったということである。実際の藤岡弘は生返事で依頼を受けて、仕事の合間にさくっと撮影を終わらせているだけかもしれない。ただ、私の中の架空の藤岡弘はことさらに暴力のない世界を切望していたのだ。

ちなみに私は幼い頃、とんかつ屋のレジに貼られた「またきてね!」と手を振るブタのイラストを見て泣いたことがある。おれはいい子なのだ。


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