羽目
「熱海に行ってきた」とは言いたくない。
私の中で熱海は観光地に分類されるからだ。熱海に行ってきた報告をする自分は確実にニヤけている。犬のように瞳を輝かせてはしゃいでいる。それは何よりも避けたい。いつだって他の若い子とは一癖ちがう自分を演出したいもの。だけど熱海って素晴らしいところだ。なぜなら階段が多いから。階段の多い街に退屈はない。だから私は熱海に行く。音を立てずにこっそり熱海へ行く。そして何食わぬ顔をして帰る。反対に湯河原に行ったら帰りの新幹線からあらゆる人へ報告するだろう。湯河原って湯治の街だから。
温泉の送迎バスに乗りたくない。
X軸を時間、Y軸をワクワク感とする。送迎バスは狭くてあたたかくて速い。するとグラフの傾きは急になる。急にワクワクする。それは恥ずかしい。急にワクワクするとはしゃいでる感じになる。だから温泉へは徒歩で行きたい。暑さ寒さを耐え抜いて、心細さを抱えて、歩道のない道を無心に歩きたい。ゆるやかな高揚感を味わいたい。
いま私は温泉の送迎バスに乗っている。
なんか疲れてるからだ。あと八王子だからだ。八王子のみなさんごめんなさい。ところで後ろの席の若者がはしゃいでいる。やれやれ、と肩をすくめてみせる。胸が高鳴っている。
めちゃくちゃ知らん駅で降ろされた。
温泉へは歩いて行こう。