情熱の出どころの歪さ
「何も知らないんだから、言う通りにしなさい。」
これが私が母から日々受け取って来たメッセージだった。
それは、洋服を買う時であり、進学先を決める時であり、部活を選ぶ時、勉強のスケジュールの立て方、就職先、恋人との過ごし方、などなど。
そんな母と揉めに揉めつつ就職したが、
だからこそ、なのか、それなのに、なのか
「なんでみんなこんなに一方的なの!?」
と私は大層ご立腹だった。
・自分の思い描くストーリー以外は認めない上司
・抽象的な指示をして、なんでそんなことも出来ないのという態度の他部門
・知らないことを質問されるとキレる先輩
……だったら!!
それぞれが抱え込む暗黙知を、
誰もが閲覧出来る仕組みを作れば、
建設的な対話が生まれるんじゃないか。
そう思って、入社4年目で小さいながらもプロジェクトを立ち上げ、情熱を持って取り組んできた。
幾許かの年月が経ち、昨年娘が生まれた。
世間的には大人と呼ばれるそれなりに良い年になったと思うのだが、相も変わらず、母からは小言の嵐だった。
母乳かミルクか、献立の決め方、娘のあやしかた、離乳食のスプーン、遠方帰省をするしないか、などなど。
そして思った。
「何も知らないんだから、ほっといてよ!」
と。
そこで、はたと気づいた。
……あぁ、同じだ。
私も母と同じように、相手の言うことは全く受け入れず、自分の思い通りにしようとしている。
衝撃だった。
本当に私は、
「建設的な対話」
を求めていたのだろうか?
ただただ、
「私は間違ってない!!」
と叫ぶための材料集めとしてプロジェクトを進めていなかっただろうか。
プロジェクトでうまくいかないことが起こる度に、
「何もわかってないくせに!」
と内心毒付いてはいなかっただろうか。
「なぜ相手はそういう発言をするのだろう?」
「もしや私の考えの方が見当違いなのか?」
と省みられていただろうか。
もしくは逆に
「こういう理由でこう考えているのだがどうだろうか」
と真摯に説明出来ていただろうか。
「建設的な対話」を掲げていた本人が、
「私は間違っていない!」というプライドで凝り固まっていただなんて地獄じゃないか。
しんど。。
足元がガラガラと崩れるような感覚であり、
このプロジェクトの意味を問い直さねばならないと感じている。
が、今はまだ自己嫌悪でぐずぐずだ。
春には育休も明けて仕事に復帰する予定なのだけど、それまでに間に合うだろうか…。
でもまぁ、グッと前を向くならば、復職前にこの違和感に気づけてよかったと言うべきか。ぐぅぅ。
おしまい