頭が重くて動けない
私は自分のことを、「文章を書くこと」が好きな人間だと思っていた。
前回の記事からだいぶ日が空いて、しかもいきなり「これから書きたいこと」に書いたこととは全く違うことを書いている。
そうでないと、これからもう何も書けなさそうだったのだ。
前回、前々回と、これから書いていきたいことやそのリストについて更新した。
週に一回は更新したいな、と思いながら、最初の記事で書く「好きなこと」を選んだ。
そのとたんである。
何も書けなくなった。
書く気にもならなかった。
最初に選んだのはとあるバンドだったんだけど、
「どうして好きか?」「どこが好きか?」「好きになったきっかけは?」「おすすめしたい曲は?」「PVが好きな曲ランキングは?」
たくさん考えた。
だいぶ前に読んだきりだった梅田悟司さん著『「言葉にできる」は武器になる』を読み返して、T字型思考法をやってみたりして、さあここから文章に起こすぞ、というところまできて
急におっくうになってしまった。
そんな自分に戸惑いつつ日が過ぎて、ある日CDをパソコンに取り込もうとしたとき。
「でもパソコン開いたらnote書かなきゃいけないしな~」
と、思った。
自分がnoteを書くことをそんなに嫌がっていることに驚いたし、好きでやりたいと思って始めたのに(というかほぼ始まってもいないのに)義務感を感じていることに失望した。
え~~~私って文章書くの好きだったんじゃないの???
週一は書こうとか、きちんと考えを深めてから書こうとか、書いたら翌日に見返して推敲してアップしようとか、
そうやって頭でっかちに技巧ばかり気にしていたら、好きなことさえできなくなった。
松浦弥太郎さんの、4年ほど前の「くらしのきほん」の言葉で、ずっと忘れられない一文がある。
「何でも知っている人より、なんでもやってみようと思う人になりましょう。」
私の浅はかさを言い当てられた気がして、当時ひどく感激したのを覚えている。
私のためのメッセージだと思った。
でも、4年たった今でも、私はまだ「何でも知っているけど何もできない人」だ。
うまい文章の書き方や考え方の勉強ばかりして、知識をつけても、それを使うのが、いつまでも怖くてできないまま。
ただ考えて、ただ書く。
誰に評価される必要もなく、私が好きだからやる。
本当はそれだけでいいのにな。
好きなことについて考えを深めるより、私のことを考えたら?
1週間考え抜かれた文章より、ぱっと書かれた気の抜けた文章の方が案外心地いいかも?
楽しいと思えるまで、もしくは嫌いなんだって気づくまで、質より量じゃない?
そんなことを考えてる今日この頃です。